「律法の支配下にある者への救いの約束」 ガラテヤの信徒への手紙4章1~6節 スティーヴン・クンケル宣教師
ガラテヤの信徒への手紙4:1―6
1つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、 2父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。 3同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。 4しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
皆さん、おはようございます。このように宣教の機会を与えていただいてありがとうございます。今月、クリスマスを迎えることを神さまに感謝しています。クリスマスにはいろいろな祝い方があることに気がつきました。今回の説教は、クリスマスの意味を伝えるために準備しました。クリスマスは日本人にとって大事な季節ですが、欧米でもクリスマスを迎えると、家族で一緒にお祝いし、食事をして楽しみます。クリスマスは世界中の国々でお祝いする特別な季節です。先日、東京スカイツリーに行って、ドイツのクリスマスタウンを見ました。みんなクリスマスが大好きですが、クリスマスの本当の意味は知りません。そういうわけでクリスマスの季節は、福音を伝える素晴らしいきっかけになると思います。
本日の聖書箇所はガラテヤの信徒への手紙からお話しします。この聖書個所から、律法の下にある人たちのために救いの約束が与えられたことを紹介したいと思います。9月の説教では、イエスさまが与える「真の自由」についてお話ししました。私たちは、イエスさまによって、真の自由を知ることができます。真の自由こそはイエスさまの救いです。
お祈りいたします。
では、聖書の言葉をお読みします。ガラテヤの信徒への手紙の4章1節から3節です。「相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、 2父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。 3同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」ということです。
この箇所から、私たちはみんな誰かの支配にあることが分かります。お仕事をしている人は誰の支配にあるでしょうか?上司の支配です。未成年の人は誰の支配にあるでしょうか?親の支配です。このように、私たちはみんな誰かの支配にあるのです。
罪に支配されている人は罪の奴隷です。罪に支配されている人は、罪によって神さまから離れてしまい、本当の自由ではない偽の自由の中に生きています。実は、私たちはみんな罪の奴隷でした。アダムとエバから受け継いだ罪の性質によって、生まれながらの人間は、誰も神さまのもとに行くことはできないのです。罪の奴隷は罪から離れることはできないのです。
次にローマの信徒への手紙3章10節から20節にはこのようなことが書いてあります。
―10次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。
11悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
12皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。
ただの一人もいない。
13彼らののどは開いた墓のようであり、
彼らは舌で人を欺き、
その唇には蝮の毒がある。
14口は、呪いと苦味で満ち、
15足は血を流すのに速く、
16その道には破壊と悲惨がある。
17彼らは平和の道を知らない。
18彼らの目には神への畏れがない。」
19さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。 20なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです
私たちは律法によっては罪の自覚しか生じないのです。罪に支配されているために、自分の力で律法を実行しようとしても、完全には律法を行うことはできないのです。これは英語で言いますと、「バッドニュース」(悪いお知らせ)です。「バッドニュース」では、私たちは、罪に支配されたまま、神さまから離れたまま、死んでしまうのです。罪に支配されたままの人間は自由ではありません。
けれども、そういう私たちに希望が与えられています。その希望について、次の聖書の言葉を読みます。
―4しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
「しかし」という言葉はとても大切な意味があります。そのことについて説明します。「時が満ちる」というのは、キリストがおいでになった時ということです。二千年前、イエスさまがお生まれになった時代は、ローマ帝国の時代でした。その時代のことをパクス・ロマーナの時代と言います。パクスはラテン語で「平和」という意味で、ロマーナは「ローマのもの」ということです。パクス・ロマーナ、つまり、ローマの平和の時代は、ローマ帝国の人たちは、ローマによって支配された領地を自由に行き来することができました。ローマであれ、イスラエルであれ、ギリシアであれ、スペインであれ、そしてイギリスであれ(イギリスもローマ帝国の領土でした)、そうでした。それだけでなく、その支配された領地のどこに行っても、自分たちの言語であるラテン語とギリシア語が通じました。200年間、そういう時代が続きました。その始まりというのがローマの初代皇帝アウグストゥスの時代です。そのことについて、ルカによる福音書にこのように書かれています(ルカ2章1~5節)。
1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
この箇所に、先ほどお読みした「時が満ちる」ということの意味が示されています。この時代に、イエス・キリストがお生まれになったのです。イエスさまは、マリアというおとめが聖霊によって身ごもり、お生まれになりました。イエスさまご自身が、律法に支配された人たちのただなかにおいでになったのです。イエスさまは罪の赦しを神さまからのプレゼントとして伝えるためにおいでになったのです。それは律法に支配されている人たちが救われて、神さまの与える永遠の命を持つためでした。律法の支配にある人たちのためにイエスさまは救いの言葉を3年間教え、伝えました。12人の弟子たちと一緒に福音を伝え、癒しを行われました。多くの人たちはイエスさまの言葉によって神さまの言葉を知り、律法の実現のメッセージがその心に留まりました。イエスさまは、ユダヤ人だけでなく、あらゆる国民の人たちに罪からの救いの証しを伝えました。
これらの言葉は、ただ励ましのメッセージというだけでなく、神さまからの素晴らしいプレゼントです。それはイエス・キリストによって、人間が罪から救われ、新しい人生に変えられるというプレゼントです。それは忘れられない大きなプレゼントに違いありません。なぜなら、そのプレゼントとは、私たち人間が神の子になるということだからです。5―6節はこう書いてあります。
5それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 6あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
私たちが神さまを「アッバ、父よ」と呼ぶことができるように、神さまは御子の霊を送ってくださいました。私たちは、罪人であり、律法の支配下にいました。誰も律法によっては正しい人になることはできませんでした。ところが、イエスさまは、私たちを罪から救い出してくださり、聖霊さまを与えてくださいました。聖霊さまによって、私たちは神さまを父と呼ぶことができるようになったのです。ローマの信徒への手紙にこう書いてあります(ローマ8章14~16節)。
14神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
イエスさまの約束の言葉は、私たちを孤独にしないということです。そのために聖霊さまを与えてくださいました。聖霊さまの導きによって、神の子たちが神さまに喜ばれる生活ができるようにしてくださいます。多くの人たちは、神の子になりたい、救われたいと思っています。そのためには神さまの喜ばれる良い行いをたくさん行わなければならないと考えています。しかし、私たち人間はどんなに努力しても、頑張っても、自分の力で神の子となることはできません、救われることはないのです。
それに対して、神さまのプレゼントはキリストを通して、私たちに神さまの救いを与えることです。神さまの救い、それは聖霊さまが送られ、神の子となるということです。それこそが神さまからの素晴らしいプレゼントです。いろいろなプレゼントはありますが、その多くは忘れてしまうものです。ところが、決して忘れることのできないプレゼントがあります。そのプレゼントについて説明させていただきます。
これを見てください。この箱の中には美味しいスナックがあります。けれども人々はこれを食べてしまったらもうすっかり忘れてしまいます。ところが、決して忘れることのできないプレゼントがあります。それは、神さまから与えられるプレゼントです。
神さまのプレゼントは、事実であり、そのための救いの証し(イエスさまが私たちのためにおいでになったこと)があります。残念なのは、多くのクリスチャンはこのプレゼントを忘れてしまいます。そういう人は、信仰をただ習慣のように考えて、キリストとの深い関係を持たないのです。ですから、私たちに与えられたこの素晴らしいプレゼントを忘れてしまわないように気をつけましょう。このプレゼントによって、私たちは、神さまが私たちを愛してくださったことを知るのです。そして、神さまから愛されていることを知る私たちも、神さまを愛するように、人々を愛するように生きていくのです。私たちは、このプレゼントをまだイエスさまのことを知らない友だちや家族、親戚の人たちに伝え、教会にお誘いして、このプレゼントを受けることができるように祈りましょう。このプレゼント、つまり、イエスさまの救い、福音を伝えることは、牧師だけ、宣教師だけ、教会の執事や働きを担っている人たちだけでなく、キリストに救われた人たちみんなに与えられている大切な役割なのです。そのことについては2コリント5章17節から20節に書いてあります。
17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 18これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。 19つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。 20ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。
ここに書かれているように、律法の支配にある人たちはキリストに結ばれることによって救われ、新しい人になることができるのです。
最後にガラテヤの信徒への手紙4章7節を読んで終わります。
7ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。
このプレゼントを私たちもみんなに分かち合いましょう。クリスマスの季節はこのことのためにあるのです。お祈りいたします。
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