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「天地の造り主、いと高き神」創世記14章8~24節 2026年1月25日 

天地の造り主、いと高き神 創世記14章8〜24節 2026/ 1/25 赤塚バプテスト教会(朝・夕)礼拝説教 石堂雅彦牧師

(はじめに)
 創世記14章をお読みしました。この章の前半部分は、新共同訳聖書では「王たちの戦い」という小見出しが付けられていました。その内容を見ていきますと、ソドムの王、ゴモラの王などが出てきます。11月にお読みしました創世記13章では、アブラムがそれまで一緒に暮らしていた甥のロトと別々に住むことになるという場面がありました。アブラムは、ロトにとっては、叔父であり、年長者であるので、優先権があっても良いはずでしたが、甥のロトに、自分の好きな土地に住むように伝えました(13章8、9節)。この時のアブラムとロトについて、どちらも、「目を上げて見る」という言葉が使われていました(ロトについては、13章10節、アブラムについては、13章14節)。しかし、ロトとアブラムの見るところは違っていました。ロトは目を上げて何を見たかというと、肥沃な土地を、川も近くにあり、水の豊富な土地を見ていました。生活するには最適なところと思えたのでしょう、ロトはそこに住むことになりましたが、その土地に住む人々について、聖書にはこのように書かれていました。「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた」(13章13節)。ところがロトはどうだったでしょうか?もしかすると、ロトは、そこに住む人のことについては見ていなかったかもしれません。また人には無関心であったかもしれません。
 一方、アブラムについては、アブラム自身が目を上げて見た、とは書いていませんが、13章14節に、神さまがアブラムに「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」と言われたことが書かれていました。神さまがアブラムに、目を上げて見なさい、と言われたその言葉を受けて、アブラムはそこを見渡し、神さまが示すその地に住むことになりました。ロトは、自分が見て良いと思うところに住んだのですが、アブラムは、神さまが見なさい、と言われたことに従って、神さまの示されるところに住んだのです。私たちはここから、何を教えられるでしょうか。私たちは何を見つめて生きるでしょうか。

(聖書から)
 さて、今日の聖書の言葉から聴いていきましょう。
14:8 そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アドマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は兵を繰り出し、シディムの谷で彼らと戦おうと陣を敷いた。14:9 エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアル、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨクの四人の王に対して、これら五人の王が戦いを挑んだのである。
14:10 シディムの谷には至るところに天然アスファルトの穴があった。ソドムとゴモラの王は逃げるとき、その穴に落ちた。残りの王は山へ逃れた。14:11 ソドムとゴモラの財産や食糧はすべて奪い去られ、14:12 ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。
 14章8~12節をお読みしました。アブラムの甥のロト。彼とその家族はロトが見たように、肥沃な土地に移り住むことになったわけですが、王たちの戦いに巻き込まれて災難に遭ったことが書かれていました。ソドムに住んでいたロトは財産もろとも連れ去られた、とありました。
 続いて13節以下をお読みします。
14:13 逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。14:14 アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。14:15 夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。14:16 アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。
 「逃げ延びた一人の男」とありましたが、これはロトの親族でしょうか?ロトに起こった災難を叔父であるアブラムに伝えています。すると、アブラムはロトを救出するための行動を始めます。もう一度、14節をお読みします。「アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した」。
 アブラムの家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者がいた、ということです。ここには、「奴隷」とありましたが、聖書協会共同訳では、「従者」となっています。アブラムはいつでも戦いに出られるように、自分の家で生まれた奴隷を訓練していました。何か危機的なことがあった時、すぐに対応できるように、今で言うなら、危機管理ということでしょうか。そして、彼らを遣わし、15、16節にありますように、彼らはこの戦いに勝利し、ロトとその家族、財産などを取り戻しました。
 ここには「訓練を受けた者」ということが出ていましたが、私たちはここから、信仰の訓練ということで考えてみたいと思うのです。信仰生活というのは、戦いであると言われます。その戦いとはどういうものでしょうか?新約聖書・エフェソの信徒への手紙6章12節には、戦いということについて、次のように書かれています。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
 「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく」とありました。「血肉」とは、人間のことです。しかし、ここには、血肉を相手にするものではない、人間を相手にするものではない、とあります。つまり、私たちは人間と戦うのではない、ということです。それでは何と戦うのでしょうか?「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」と続いています。私たちは人間と戦うのではなく、罪と戦う、悪と戦うということが言われているのです。自分が罪に支配されないように、悪に陥らないように、信仰の戦いを勝ち取るためには常日頃から信仰の訓練が大事です。同じエフェソの信徒への手紙6章13節以下をお読みします。
6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。6:18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
 ここから分かることは、神さまの言葉を身に着けること、そして、祈ることです。私たちにとっての戦いは戦争ではありません。血肉と戦うのではない、人間と戦うのではありません。信仰の戦い、罪との戦い、悪しきものとの戦いです。
 17節からは、メルキゼデクという王がアブラムと会ったことが記されています。17~20節をお読みします。
14:17 アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。14:18 いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。14:19 彼はアブラムを祝福して言った。
「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。
14:20 敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」
アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。
 お読みした聖書個所には、二人の王が出てくることが分かります。17節には、ソドムの王のことが、そして、18節からは、サレムの王メルキゼデクのことが書かれています。メルキゼデクについては、「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデク」とありました。この「いと高き神」というのは、アブラムが信じている神さまのことでしょうか?サレムというのは、エルサレムのことだと言われています。メルキゼデクは神さまの祭司であり、王でした。そのメルキゼデクがパンとぶどう酒を持って来て、アブラムを祝福します。その祝福の言葉をもう一度、読んでみます。「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように」。ここから分かることは、神さまがアブラムを祝福されますように、ということと、アブラムの勝利は「敵をあなたの手に渡された」とあることから、神さまのなさったことであり、神さまの勝利であったことが言われています。そして、最後には「いと高き神がたたえられますように」とあるように、神さまがたたえられますように、とあります。つまり、メルキゼデクは、アブラムを祝福していますが、それは、この戦いの勝利は神さまによるものであり、神さまこそはたたえられますように、ということが言われているのです。
 続いて、21~24節には、アブラムとソドムの王とのやり取りが書かれています。
14:21 ソドムの王はアブラムに、「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と言ったが、14:22 アブラムはソドムの王に言った。
「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。14:23 あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません。14:24 わたしは何も要りません。ただ、若い者たちが食べたものと、わたしと共に戦った人々、すなわち、アネルとエシュコルとマムレの分は別です。彼らには分け前を取らせてください。」
 アブラムは、甥のロトの災難を聞き、ロトとその家族の救出のために行動し、勝利しました。そのことで、ソドムの王がアブラムに会いに来て、「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と言いました。ソドムの王は、捕虜として捕らえられた自分の家族や僕は返してほしい。但し、財産は戦利品としてお取りください、と言ったのです。しかし、アブラムはこう答えました。「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません。わたしは何も要りません」。
 アブラムは、「わたしは何も要りません」と言いました。戦いに勝った者が戦利品を獲るのは当然のことでしたが、自分は何もいらない、と言っているのです。なぜ、アブラムは、このようなことを言ったのかというと、先ほどのメルキゼデクの言葉にあったように、自分が神さまによって勝利させていただいたことを知っていたからです。またアブラムは、自分の利益のため、自分が栄えるためではなく、神さまがほめたたえられること、神さまの栄光が表わされることを求めていました。これがアブラムの生き方、アブラムの人生でした。

(むすび)
 今日の説教題は、メルキゼデクの言葉から取りました。「天地の造り主、いと高き神」。私たちも、神さまによって生かされている一人一人です。私たちの生きる目的は何でしょうか?私たちの人生は何のための人生でしょうか?私たちもアブラムに倣って、アブラムに続いて、私たちも神さまをほめたたえる人生、神さまを賛美する人生、神さまを礼拝する人生を歩んでまいりましょう。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
アブラムは、自分に与えられた人生を自分の利益のため、自分が栄えるためではなく、神さまがほめたたえられること、神さまの栄光が表わされることを求めて歩みました。神さまを求めて生きる時、神さまは私たちを祝福の人生へと導いてくださいます(マタイ6章33節参照)。私たちも主を求めて、日々を歩む者としてください。そして、その歩みの中で、神さまの祝福を知ることができますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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