主イエスに問われながら生きる(マタイ21章23~27節) 【週報巻頭言】2026年2月22日
では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼〔バプテスマ〕はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。(マタイ21章24、25節)
イエスさまがなさったことに対して、何の権威でそんなことをしたのか?と問いかけた人たちでした。彼らは、自分たちが神の権威の下に生きていると思っていました。イエスさまがなさったこと、ヨハネのバプテスマも、神の権威ではなく、自分勝手にやっていることだと思っていました。しかし、イエスさまに問われることによって、実は、彼らこそが神の権威ではなく、人の目を気にしながら、人の評判を気にしながら、生きていることが明らかにされていったのです。
バプテスマを受けて生きるとはどういうことでしょうか。それは、自分という権威を捨てて、神さまの権威の下に生きることです。またそれは、人の目を気にしながら、人の評判を気にしながら生きることをやめて、神さまが私たちに求めておられることは何か、神さまが私たちに問われていることは何か、そのことを見つめて生きることです。私たちは神さまに尋ねます。祈りの中でも、神さまに尋ね、問うことが多くあります。しかし、私たちが神さまから問われることもあります。神さまに問いながら、神さまに問われながら、私たちは、自分が一人の罪人であること、神さまに赦されている罪人であることを知らされていくのです。
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