「教会コミュニティー のアウトリーチ」 使徒言行録2章43−47節 2026年 3月1日 スティーヴン・クンケル宣教師
みなさん、おはようございます。今年は神様のおかげで、素晴らしいアウトリーチのきっかけができたことを神様に感謝しています。ところでアウトリーチとは何でしょうか?マタイによる福音書8章1~4節には、イエス様が当時、そばによることも禁じられていた病人に触れられました。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ」(マタイ8:3)とあります。アウトというのは、「何々の外に」という意味で、リーチというのは、「伸ばす、到達する」という意味です。この「伸ばす」というのが、アウトリーチです。イエス様の愛があふれて、その手が病んでいるところに触れて、癒しが起こっていくのです(『アウトリーチハンドブック』田口昭典編から)。そういうわけで、今日は教会のアウトリーチについてお話しします。
先日は、代々木公園でのホームレス奉仕でアウトリーチすることができ、宣教師どうしで協力し合うことができました。先月初めに行われた第71回の日本バプテスト連盟の総会では、連盟の諸教会に神様の働きが行われていることを聞いて嬉しく思いました。また私は日本バプテスト連盟とアメリカの南部バプテスト連盟の協力関係が前進することを願っています。両方の連盟には、神学的な違いがありますが、同じ目標があります。その目標とは、キリストの福音が伝えられ、人々が神様の救いにあずかることです。
さて、どのようにして私たち教会がイエス様を知らない人たちのための希望のコミュニティーになることができるでしょうか?この前、教会のある方とお話ししました。その話の中で、自分の教会にある課題というのは、他の教会にもある課題であるということを知らされ、考えさせられました。日本バプテスト連盟と南部バプテスト連盟の最も素晴らしい共通点の一つは、どの教会であっても、一つの教会だけでは、自立できないということです。聖書が私たちに教えることは(1コリント12:12以下)、教会はキリストの体、私たちはその体の各部分ということです。私たちは、互いにこの教会のコミュニティーの中で、教会=キリストの体として、仕え合っています。友達になった教会(協力関係にある教会)は、もしその教会に牧師や宣教師がいなければ、その教会に牧師や宣教師が与えられるように祈る必要がありますが、キリストの体である教会としてどのように互いに協力し合うか、支え合うかも大事なことです。私たちの教会は日本バプテスト連盟の一つの教会としてその役割を担っていることを忘れてはなりません。
去年、岡山バプテスト教会を訪問しました。岡山教会には、現在、専任の牧師はいませんが、その日の礼拝のゲストスピーカーとして、徳島キリスト教会協力牧師の杉山修一先生が説教されました。そのことから教えられたことは、教会に牧師がいなくても、支援してくれる他の教会があるということです。現在、世田谷にある東京第一バプテスト教会も同じです。やはり、専任の牧師はいませんが、支援してくれる他の教会の牧師がおられます。このように大事なことは、教会の働きを近隣の教会の牧師や教会員が協力し、支援し合うということです。なぜ、そのようなことができるかというと、私たちはみんなキリストの体だからです。そのようなことで、私たちに友達教会(協力し合う教会)を神様は与えてくださいます。互いに支援し合うことによって、クリスチャンとして、また教会として自立することができるのです。今日の説教の聖書個所としてお読みした使徒言行録の2:43−47から、アウトリーチについて学んでいきましょう。アウトリーチについて関心がある方がおられるなら、金沢教会と福岡ベタニア教会で牧師をされていた田口昭典先生が編集された『アウトリーチハンドブック』という本を読むことをお勧めします。それでは、説教を始める前に、お祈りします。
(祈り)
今日の説教で分かち合いたいのは使徒言行録の第2章の話です。使徒ペトロのパワーフルな説教によって、3千人以上がキリストを信じ、バプテスマを受けましたが、次の箇所を読むと、教会のアウトリーチの証しが書かれています。
使徒言行録2章43−45節をお読みします。「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」。この箇所を読むと、ここにはアウトリーチのことが書かれていることが分かります。弟子たちだけでなく、初代教会は一致して、互いに支え合っていました。クリスチャンどうしだけでなく、神様を探し求めている人たちのためにもアウトリーチをしていました。日本バプテスト連盟の諸教会、そして、私たちの教会には素晴らしいアウトリーチとして、バザーや食事などによるフェロシップの働きがあります。私は、この板橋区の下赤塚の地域に住んでいる人たちにとって益になるだけでなく、主を信じるきっかけになると信じています。イエス様ご自身は貧しい人たち、病気の人たちに対して恵みを与えられ、しるしとわざによって人々を癒されました。イエス様を信じる人たちもイエス様にならって、アウトリーチをしました。イエス様はヨハネによる福音書で弟子たちの足を洗われた時にこう言われました。「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネ13:7)。またイエス様は天に帰る前にペトロにこのように命令されました。「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハネ21:17)。ですから、イエス様にならうことはキリストの愛の行動にならうことです。
残念なことに、異端と言われる教会の中には、聖書が教える福音ではなく、偽の教えを伝えていたり、イエス様ではなく、人間を神様のようにまつりあげている教会もあります。
それに対して、正しい教会は福音を忠実に伝え、イエス様の愛を言葉だけでなく、行動で行うように努めています。私たちが考えなければならないことは、イエス様との関係にある私たちは、どのように人々との関係を作るかということに関心を持つことです。先月ホームレスのアウトリーチをした時、私たち一人一人が神様が造られた大切な人であること、神様の子供であり、独りぼっちではなく、神様の家族の一員であると説教しました。教会は、神様が造られた一人一人を愛しておられることをおぼえて、このようなアウトリーチをするのです。私たちは、キリストが私たちを愛してくださるように、互いに愛し合うことに努めていくのです。
私たちは初代教会のように不思議なわざや幻を行うことはできませんが、大事なことは、教会としてアウトリーチに励み、福音を互いに伝え、自分の持ち物を必要に応じて分け合うことです。互いに自分の持ち物を分け合うことで福音を伝えるきっかけにもなります。一番大事なことは、福音を信じていない人たちに福音を伝えることです。弟子たちと教会の人たちは福音を伝えた時、お金のためではなく、神様に忠実になるために教会の土台として働きました。キリストご自身は教会の頭(かしら)、かなめ石であると聖書に書いてあります(エフェソ5:23、2:20)。新約聖書の言葉を読むと、いろいろなアウトリーチの方法があることが分かります。アウトリーチをしないなら、教会は弱っていきます。教会はアウトリーチに励み、互いに支え合う時、神様の恵みが表されます。
フィリピの信徒への手紙2章1−5節の言葉を読むと、キリストの生き方にならう必要があることが教えられています。「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」。
ですから、私たちは、イエス様の生き方にならうために、福音を伝えるために言葉だけでなく、他の人たちを自分より大切な者として、支え合うアウトリーチを行うように努めなければならないのです。アウトリーチはもちろん牧師と宣教師と執事だけの働きではなく、教会のみんなに与えられた働きです。
続いて使徒言行録2章46−47節をお読みします。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。
この聖書箇所から示されることは、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」ということです。教会に連なる人たちが一つになると書かれています。孤立させないで、互いに交わりを持つことです。
教会はアウトリーチによって、福音に触れ、キリストとの関係を持つのです。教会がキリストの教会として成長していくために、お読みした使徒言行録や他の新約聖書の言葉から、初代教会のアウトリーチを学んでいくことができます。教会のためのメインの命令はイエス自身が新しい戒めから学ぶ言葉です。イエス様はヨハネによる福音書13章34−35節で「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」と言われました。私たちはキリストが愛されたように互いに愛し合うのです。そうすることで、全ての人たちに、私たちがキリストの弟子であることを、愛を言葉だけでなく、実践することで証ししていくのです(1ヨハネ3:18)。
私は、教会が神様に従い、キリストにならっていくことで、ノンクリスチャンが私たちを通して、キリストの愛を知り、キリストを信じ、教会に加わる人たちが起こされると信じています。多くの人たちはイエス様は好きだけど、教会は好きではないと言っています。クリスチャンがイエス様のような生き方をしていない、という話を聞いたことがあります。ですから、私たちは、クリスチャンとしてイエス様の生き方にならって、福音を伝え、アウトリーチに励んでいきましょう。今日の聖書の最後の箇所には「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」と書かれていて、証しの言葉が溢れています。忘れてはならない言葉は、イエスの愛の行動にならい、実践することです。イエス様をまだ信じておられない方々が私たちの生き方を通して、神様の愛を知り、神様を信じるように祈っています。
今年の東京のアウトリーチの働きに、新しい収穫の実りがあることを信じています。日本バプテスト連盟の諸教会と一緒にアウトリーチに励んでいきましょう。互いに支え合っていきましょう。
キリストは愛のゆえにアウトリーチを行いました。四つの福音書にもアウトリーチについて、何度も語られています。私たちはイエス様の教会として、聖なる生けるいけにえとして自分をささげ、励んでいくのです。ローマの信徒への手紙12章1−3節にはこう書いてあります。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです」。
私たちは、イエス様の心を持ってイエス様にある新しい生き方を表して、福音のために共に教会のアウトリーチに励んでいきましょう。お祈りします。
スティーブン・クンケル
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