わたしは主のもの(イザヤ44章1〜5節)
イザヤ書44章5節にこのような御言葉があります。「ある者は『わたしは主のもの』と言い ある者はヤコブの名を名乗り またある者は手に『主のもの』記し 『イスラエル』をその名とする」。「はじめてのカテキズム」(米国長老教会の作った子供用の教理問答集)にはこのような問答があります。「問い 神さまの子どもであるとはどういうことですか。 答え わたしが、わたしを愛してくださる神さまのものだということです」。私たちは神様に愛された者、神様のものということが示されています。私たちは偶然に存在しているのではなく、神様の御心、ご計画、その深い配慮の中で造られ、存在させられた者です。そういう私たちは喜んで、自分のことをこのように言えるのではないでしょうか。私は神様のものです!私は神様のもの、私の人生のすべては神様が知っておられ、神様が導いてくださる。その神様に自分を委ねていきましょう。そして、神様の御用のために励んでいきましょう。私たちを通して、神様の恵み、素晴らしさが人々に表されますように、そして、神様と共に生きる人たちが起こされますように、共に励んでまいりましょう。
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