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【礼拝説教】2021年9月5日「救い主は私の主」

2021年9月 5日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「救い主は私の主」マルコによる福音書12章35~37節

聖書―マルコによる福音書12章35~37節
(はじめに)
 イエスさまのことを「イエス・キリスト」と言います。「キリストが姓でイエスが名前ですか?」と尋ねられることがありますが、そうではありません。イエス・キリスト、それは、イエスさまは救い主です、ということです。その救い主についての話が今日お読みしました聖書の箇所に書いてあります。
12:35 イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
 メシアとは何かというと、救い主のことです。旧約聖書はユダヤ人の間で使われている言語のヘブライ語で書かれました。ヘブライ語では、救い主をメシアと言います。一方、新約聖書ではどうかというと、新約聖書はそれが書かれた当時、多くの地域で使われた言語であるギリシア語で書かれました。そのギリシア語では救い主をキリストと言います。
 ですから、「メシアはダビデの子だ」というのは、救い主はダビデの子という意味です。もっと言いますと、ダビデの子というのは、ダビデの子孫ということです。救い主はダビデというイスラエルの偉大な王さまの子孫から生まれる、ということが言われていたのです。

(聖書から)
 新約聖書の最初のページ、1ページにはマタイによる福音書1章の言葉が書かれています。ここにも、救い主はダビデの子孫であるということが書かれています。マタイによる福音書1章1節を読んでみます。
1:1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
 先ほど、ダビデの子と書いてあるのは、ダビデの子孫のことであると言いましたが、ここもそれと同じです。アブラハムの子孫であり、ダビデの子孫であるイエス・キリストの系図がここに書いてある、ということです。マタイによる福音書は、ユダヤの人たちにイエスさまの福音が伝えられるように、と書かれたものです。ユダヤの人たちは系図を重んじました。それでマタイという人は、イエスさまという救い主はユダヤの人たちにとっては、「信仰の父」と言われ、尊敬されているアブラハム、そして、同じくユダヤの人たちにとっては、イスラエルの偉大な王と言われているダビデ王、この人たちの子孫であることをこの系図で示したのです。
 さて、今日の聖書の箇所に戻ります。ユダヤの人たちは、この時代はまだ新約聖書はありません。旧約聖書だけでしたが、そこにダビデ王の子孫として、救い主が生まれる、と書いてありましたから、人々は救い主がおいでになるのを待ち望んでいました。そのことについて、イエスさまは人々にこのように尋ねているのです。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」。
 律法学者というのは、聖書、神さまの教えに詳しい人たち、専門家でした。その人たちが聖書に基づいて、救い主はダビデの子孫としておいでになります、と人々に語っていました。そのことについて、イエスさまは、どうして、律法学者たちは、救い主はダビデの子孫として来られる、と言うのか?と人々に尋ねているのです。
 これは決して、間違ったことではありません。旧約聖書に書かれていた救い主はダビデの子孫としておいでになる。そのことは確かに実現して、先ほどお読みしたように、新約聖書にそのことが書いてありました。新約聖書の一番初めに「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とありました。
次に36、37節をお読みします。
12:36 ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
12:37 このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。
 ダビデ王の言葉をイエスさまは引用されました。これは詩編110編1節の言葉です。ダビデ王は、この言葉を自分勝手に話したのではありません。「聖霊を受けて言っている」とあります。聖霊というのは、神さまの霊ということです。神さまの霊を受けて、ダビデはこのように語りました、と言っているのです。
 聖霊を受けて、神さまの霊を受けて、というと、皆さんがお持ちの聖書がそうです。そのことは聖書自身がこのように語っています(二テモテ3章15、16節)。
3:15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
 聖書とは何か、ということがここに書かれています。まず、言われていることは、「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」ということです。キリストへの信仰を通して救いに導く知恵をあなたに与えることができる。この聖書はあなたに救いの道を導く言葉ということです。
 もう一つのこと、それは「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。神さまの霊によって書かれた、とあります。実際に書いたのは人間です。けれども、神さまの霊に導かれて、その人たちが書いた。そして、聖書は私たちが神さまのことを深く知り、従うように導く、というのです。
 ダビデ王は、神さまの霊によって何を言ったのでしょうか?「主は、わたしの主にお告げになった」とあります。最初の「主」というのは、神さまのことです。そして、次の「わたしの主」というのは、救い主のことです。神さまは、私の救い主にお告げになった、ということです。
 神さまが私の救い主に言ったこと、それは「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」ということです。「わたしの右の座に着く」というのは、救い主は神さまと等しい権威、力を持っておられる方ということです。救い主は神さまの権威、力によって救いのみわざを行った、というのです。
 この後のイエスさまの言葉をお読みします。「このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」。ダビデ王が救い主を私の主と呼んでいるのに、どうして、救い主がダビデの子孫なのか、とイエスさまは言われました。
 実は、イエスさまがおいでになった当時、律法学者、またユダヤの人たちはイエスさまを救い主とは信じていませんでした。先ほど、系図の話をしましたように、ダビデ王の子孫としておいでになったイエスさまは救い主なのですが、人々はイエスさまが救い主であるということを認めていませんでした。あのイエスという男は救い主でも何でもない。ダビデ王の子孫としておいでになる方は別に来られるはずだ、と言っていたのです。
 イエスさまはダビデ王が救い主について、「私の救い主」と言ったことを引用して、あなたがたは救い主について、間違った考えを持っていると言われたのです。救い主というのは、このユダヤの国のために、政治的にも、軍事的にも力を持ち、世界を支配する人のはずだ。イエスという男など、救い主ではない。そう考えていたのです。
 ダビデ王は、救い主について、私の主と言いました。私の主、私の救い主とは、私が信じ、私が従う救い主ということです。あなたがたは自分たちで勝手に救いについて、救い主について理想を描いたり、考えたりしないで、聖書の言葉から、救いとは何であるか、救い主とは誰であるか、そのことを聞きなさい、と言われたのです。私たちは聖書の言葉から、救いについて、救い主について教えられています。救いとは何でしょうか?私たちを罪から解放することです。救い主とは誰でしょうか?イエス・キリストです。この方が私たちを罪から救うために十字架にかかってくださいました。今、私たちは救い主イエスさまと一緒に新しい人生を歩む者とされたことを感謝したいと思います。

(むすび)
 今日の聖書の箇所の最後に「大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた」とありました。おそらく、イエスさまを救い主と認めなかった律法学者たちや人々はイエスさまの言われることを喜んで聞くことはなかったでしょう。一方、ダビデが「私の救い主」と言ったように、イエスさまのことを「私の救い主」と信じた人たちはイエスさまの言われることを喜んで聞いたと思います。私たちはどうでしょうか?イエスさまを私の救い主と信じているでしょうか?この方を私の信じる、私の従う救い主としているでしょうか?主の言葉を喜んで聞いているでしょうか?お祈りいたします。

祈り
恵み深い主なる神さま
 ダビデ王は、救い主は私の主と言いました。私の主、それは私が信じる救い主、私が従う救い主ということです。律法学者たちや多くの人々は救い主とは、自分たちの思いや願いを聞く、つまり、自分たちの言うことを聞く救い主と考えていました。しかし、イエスさまは聖書から聞くなら、それは間違いであることを示し、救い主を信じ、救い主に従うように語られました。
 本当の救い主はこの世の支配者ではありません。私たちを罪から救い、神さまの愛に生きるように導かれる方です。イエスさまは私たちを罪から救うために十字架におかかりになりました。しかし、死んで三日目に復活され、主を信じる者たちと共に歩んでくださいます。
 一人でも多くの方が救い主に出会うことができますように私たちを用いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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