シメオンの賛美(ルカ2章21~38節)【週報巻頭言】2024年1月21日
ルカによる福音書2章28節以下にはシメオンの言葉、シメオンの賛美が書かれています。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
これは万民のために整えてくださった救いで、
異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2章28~32節)
救い主に出会った喜びの賛美です。「わたしはこの目であなたの救いを見た」と言っています。神さまの救いを見た。イエスさまを見るということ、イエスさまに出会うということ、それが救いを見るということです。シメオンは、聖霊によって、神さまの霊の導きによって、目の前の幼子、イエスさまは私の救い、救い主であることを知ったのです。私たちも以前は、自分の慰めはどこにあるのか、自分の救いはどこにあるのか、と、あることに慰めを求め、またあることを救いと考えていたかもしれません。しかし、聖書が示す本当の慰め、救いとは、イエス・キリストなのです。
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。(同33節)
このシメオンの賛美を聞いたイエスさまの両親は、この賛美の言葉を聞いて驚いた、とあります。なぜ、驚いたのでしょう。自分たちの子供です。しかし、その子供こそは、救い主であるとは、知らなかったのです。シメオンの賛美を聞いて、そのことを知らされたのです。
私は、イエスさまの両親とシメオンのことが書いてあるこの聖書の個所を読んで、これは、まるで教会のようだと思いました。なぜかというと、教会というのは、互いに神さまの恵みを分かち合うところだからです。本当の慰めが、本当の救いが神さまから与えられていることを確認し合う、気づかされる、そういうところです。そして、私たちは神さまの恵みに押し出されて、この世の旅路を歩み出すのです。
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