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【週報巻頭言】2021年7月4日 何の権威によって生きているか(マルコ11章27~33節)

マルコによる福音書11章27~33節について、新共同訳聖書には「権威についての問答」という小見出しが付けられています。祭司長、律法学者、長老たちはイエスさまが神殿の商人たちを追い出したことについて、何の権威で、そのようなことをしたのか?(28節)と尋ねています。何の権威で、ということですが、祭司長、律法学者、長老たち自身がユダヤにおいて権威ある立場にあったと自負していた人たちでした。その権威は、神さまから与えられた権威であると考えていました。そして、それによって、この神殿のことも管理していたのに、そこにやって来たイエスさまによって、大変な迷惑を被った。いったい、あなたは何のつもりで神殿の境内にいた商人たちを追い出したのか?と尋ねているのです。一方、イエスさまは彼らに対して、ヨハネのバプテスマは天からのものだったか、人からのものだったか、と逆に尋ねています(29、30節)。彼らは群衆を恐れて答えることができませんでした(31、32節)。

権威、このことについて言えば、イエスさまも、祭司長、律法学者、長老たちも、どちらも、自分は天からの権威、すなわち、神さまからの権威が与えられていると答えたと思います。しかし、イエスさまの質問を通して知らされることは、祭司長、律法学者、長老たち、彼らは神さまからの権威によって歩んできた人たちではなかったのです。彼らは群衆が怖かったのです。群衆を、人の目を恐れていたのです。神さまを畏れることはしないで、人を恐れて生きてきた人たちだったのです。

天からの権威。私たちは何の権威によって生きているでしょうか?私たちも天からの権威、神さまからの権威によって生きている者なのではないでしょうか。それでは、神さまからの権威によって生きるとはどういうことでしょうか。「私は神さまから権威を与えられて生きている!だから、この世の何ものも恐れない!」そういう生き方でしょうか?いいえ、神さまからの権威によって生きるというのは、自分は何の権威も持っていない。ただ神さまからの権威によって生かされているだけという生き方です。それは、人を支配することも、人に支配されることもしません。ただ神さまの恵みに支配され、神さまの恵みに従うという生き方です。

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