「キリストの愛に生きる者へ」エフェソの信徒への手紙3章14~21節 2024/ 1/21 SUN.
聖書―エフェソの信徒への手紙3章14~21節
(はじめに)
私たちは祈ります。私たちの祈りの対象、祈りの相手は誰でしょうか?それは神さまです。私たちは神さまに向かって祈るのです。今日お読みした聖書には、祈りの言葉が書かれています。お読みした聖書の個所はエフェソの信徒への手紙です。これは、使徒パウロが書いたものと言われています。礼拝では、このところ、マタイによる福音書とこのエフェソの信徒への手紙からお話ししていますが、あらためてこの手紙の冒頭を読んでみます。
1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。1:2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
この言葉から、パウロがエフェソの教会の人たちに向けて書いたものであることが分かります。「聖なる者たち」、「キリスト・イエスを信ずる人たち」。これは、イエスを主と信じる私たちのことでもあります。「キリスト・イエスを信ずる人たち」。このことは分かります。しかし、「聖なる者たち」と言われると、果たして、自分はそのような者なのだろうか?と困惑するかもしれません。
この「聖なる者」というのは、私たちが神さまによって聖なる者とされた、ということです。自分自身の生き方を振り返って、自分は、聖なる者と言うことができる人はおそらく一人もいないと思います。そういう私たちですが、聖なる者とされたのです。イエス・キリストによって聖なる者とされたのです。ですから、「あなたは聖なる者」と言われる時、神さまがこの私を聖なる者としてくださった。その神さまのなさった恵みを思い起こしていくのです。神さまの恵みを思い起こし、神様に感謝をささげるのです。私たちは、今、神さまに礼拝をささげていますが、神さまの恵みをおぼえて感謝の心で礼拝をささげていくのです。
(聖書から)
さて、今日の聖書個所は、パウロの祈りが書かれていると言いました。14、15節には、このようなことが書かれています。
3:14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。3:15 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
パウロは、こう言っています。私は父なる神さまの前にひざまずいて祈る。ひざまずいて祈るとありますが、当時のユダヤの人たちは、祈る時、立って祈っていたそうです。けれども、ここでパウロは、「ひざまずいて祈ります」というのです。ひざまずいて祈った方のことが別の聖書個所にも書かれています(ルカ22章41節)。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
これは、オリーブ山のゲツセマネでイエスさまが祈られた時のことが書かれています。別の福音書では、うつ伏せになって祈った(マタイ26章39節)、ひれ伏して祈った(マルコ14章35節)とも書かれています。ここまで見ていきますと、これは単に祈りの姿勢、祈りの形というだけではないことが分かります。パウロの祈り、イエスさまの祈りから示されること、それは、神さまに対する心からの祈りであったということです。
パウロの祈りの内容を見ていきますが、16、17節には、このような祈りがあります。
3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
ここに「内なる人」とあります。「あなたがたの内なる人を強めて」とは、どういうことでしょうか?17節には、「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」とあります。この「内なる人」について理解するために、もう一つの聖書の言葉を読みたいと思います(ガラテヤ2章20節)。
2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
ここには「キリストがわたしの内に生きておられる」とあります。「あなたがたの内なる人」、それは、私たちの内に住んでおられるキリスト、私たちの内に生きておられるキリストのことなのです。私たちが、イエス・キリストを救い主と信じたら、私たちの内にキリストがおいでになるのです。だから、私たちは独りではない、独りで生きているのではありません。キリストが私たちと一緒に生きてくださる、私たちの人生を一緒に歩んでくださるのです。
もう一度、16節をご覧ください。「御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて」。父なる神さまが、私たちの内なる人、私たちの内におられるキリストを強めてくださる。キリストが私たちの内におられるから、私たちは強くなるというのでしょうか?17節ももう一度ご覧ください。「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」。ここには「あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように」とありました。私たちはキリストを私たちの心に、私たちの人生にお迎えしたら強くなるのです。その強さというのは、どういう強さかというと、愛における強さです。キリストの愛が私たちを支配する、圧倒すると言ってもよいでしょう。それによって私たちはキリストの愛に生きる者となるのです。
パウロは続けて、このように祈ります。
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
パウロは、キリストを信じる者が、キリストの愛がどれほどのものであるかを理解するように、人間の知識をはるかに超えるキリストの愛を知るように。それによって、神さまの満ち溢れる豊かさにあずかり、満たされるように、と祈ります。
教会は、「学校である」とある方は言いました。何を学ぶ学校かというと、神さまの愛を学ぶ学校です。私たちはキリストの体である教会に集います。何のために集うのかというと、繰り返しますが、神さまの愛を学ぶためです。
私たちは、キリストに出会い、神さまの愛を知ることによって、自分がいかに神さまの愛から遠い者であるか、どんなに愛の小さな者、愛の無い者であるかに気づかされます。それはつらいことですが、その気づきというのはとても大切なことです。
私たちは神さまを知る前は、人と自分を比べて、自分はそれなりの人間だ、と思って優越感を持ったり、その反対に、あの人にはかなわない、と劣等感を持ったりしていました。しかし、神さまを信じて生きるというのは、自分と人を比較して生きる生き方ではありません。神さまの前に立ち、神さまの目から見た本当の自分を知るのです。神さまから見た私。それは、聖書から知ることができます。神さまから見た私は一人の罪人です。愛の無い、自分を中心に生きてしまう者・・・。そういう私を神さまはそれでも愛しておられ、この私のために救い主を送ってくださったのです。救い主イエス・キリストをお迎えするならば、私たちはキリストがお示しになった神さまの愛に生きる者とされるのです。「神の満ちあふれる豊かさ」とは、神さまの愛の豊かさということです。この豊かさに生きる者とされるのです。
(むすび)
パウロの祈りの最後の部分をお読みします。
3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
お読みした言葉から、パウロは神さまのことをこのように考えていたことが分かります。「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」。私たちの内に神さまの力が働いておられる。私たちが求めたり、思ったりすることすべてをはるかに超えて適えることができるお方。私たちは、もっともっと、このことを信じていきたいと思うのです。信仰の歩みというのは、自分がどれだけ神さまのために何かをできるだろうか、ということだけではありません。もちろん、自分が神さまのためにあれをしよう、これをしようと考え、努めていくことは素晴らしいことですが、自分の内に神さまの力が働いてくださることを忘れてはなりません。自分の思っていること、考えていることを超えた神さまの知恵、神さまの導きがあることを忘れてはなりません。
2024年、新しい年が始まりました。この年も、神さまは私たちと共に歩んでくださいます。キリストの愛に生きる教会として、神さまが私たちを通して、私たちを用いて、ご自身の栄光を表わしてくださるように。祈りつつ歩んでまいりましょう。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
パウロの祈りの言葉を読みました。神さまは私たちのために、その愛するみ子イエス・キリストを送ってくださいました。この方は今、私たちと一緒に歩んでくださっています。
その歩みの中で、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知るように。そして、キリストの愛に生きる者となるように私たちを導いてください。
この新しい年もキリストの愛、栄光が豊かに表される年でありますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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