
神が御子についてなさった証し(一ヨハネ5章6~12節) 【週報巻頭言】2025年9月14日
わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。(一ヨハネ5章9節)
聖書が言っている証しとは、何かというと、イエス・キリストを証しすることです。自分の立派さ、自分の正しさ、そういうことを証しするのではありません。私たちを通して、私たちを用いて、生きて働いておられる神さまを証しするのです。「人の証し」と「神の証し」とありますが、「人の証し」というのは、裁判などの証言のことを言っています。私たちが神さまから求められていることは、私たちが「神の証人」となること、私たちが、人々にイエス・キリストを証しすることです。私たちはそれが上手にできるかできないか、心配します。私も説教というのは、やはり、イエス・キリストを証しすることだと思っていますから、説教が終わった後に、今日の説教はうまくできただろうか、ちゃんとイエスさまのことが伝えられただろうか、と心配します。けれども、ここには、こういうことが言われていました。「神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです」。
神さまご自身が、神さまのみ子についてなさった証し、それは、イエスさまがバプテスマを受けて始まる公生涯と言われるもの、イエスさまの地上における歩みであり、イエスさまが私たちを罪から救うためになされた十字架のみわざです。私たちが伝えるべきは、自分の立派な行い、自分の善い行いということではありません。神さまのみ子イエスさまの愛、イエスさまの恵みを伝えるのです。私たちがうまく証しができるだろうか、うまく説教ができるだろうか、そのことを心配するよりも、私たちを通して、神さまの愛が、恵みが人々に伝わることが最も大事なことなのです。
この記事へのコメントはありません。