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万軍の主の熱心(イザヤ37章32節)

試練に遭った時、困難な出来事に遭った時、心が落ち着かず、イライラし、不安な思いで頭がいっぱいになってしまうことがあります。そして、そのような時は祈りに専念しようと考えます。私はある早朝、長い時間を祈りに費やしました。しかし、その後も心は静まらず、家族と喧嘩をしたりしてしまう・・・。心の不安定な一日を過ごしていました。そのような夜、一日を振り返り、反省していると、ふと「沈黙する」ということが心に思い浮かんだのです。私はあまりにも語ることばかりの日々を過ごしていたのではないだろうか。祈りも独白となり、神様に聴くことを怠っていたのではないだろうか、と悔い改めたのでした。そして、ある牧師先生の黙想書を読みました。そこには「万軍の主の熱心」(イザヤ37章32節・口語訳)について書かれていました。自分の祈りの熱心さ、奉仕の熱心さ、宣教の熱心さ・・・。それが人を救いに導くのではありません。むしろ、それらの熱心さが信仰のすべてであるかのように、救いであるかのように考えているところに罪があるのです。まずは聴くこと、主の言葉を聴くことです。そして、主の熱心(私たちに対する神様の愛)によって救いをいただいたことを想い、感謝をささげることへ・・・。語ること、行うことから離れ、まず、主の前に沈黙し、主の言葉に聴く。主に思いを向け、主の救いに目を注ぐのです。信仰は聴くことから、主の言葉を聴くことから始まります(ローマ10章17節)。そこから主の平安が与えられ、生きる力が与えられます。

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