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聖書の画像 板橋の教会

さあ、目を上げて見渡しなさい(創世記13章1~18節) 【週報巻頭言】2025年12月14日

主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」(創世記13章14~17節)

「さあ、目を上げて・・・見渡しなさい」と神さまはアブラムに言われます。この時、アブラムは目を伏せていた、心が打ちひしがれていた、と言う方がいます。考えられないことではありません。エジプトでの失敗、挫折をアブラムはひきずっていた。そういうこともあって、ロトに対しても、自分が率先して、私はこの土地を取るから、あなたはあちらを、とは言えなかったかもしれません。この辺は想像の範囲ですが、そういうアブラムに神さまが語られたのです。神さまは、アブラムに目を上げて見渡しなさい、目を上げて見よ、と言われたのです。

神さまはアブラムに、目を上げて見よ、と言われました。それは神さまが与える土地でした。「さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから」(17節)。ここに「縦横」とあります。私は縦横無尽という言葉を連想しました。これは「自由自在に物事を行うさま。思う存分に。四方八方に限りない意から」という意味です。縦横無尽の無尽というのは、無尽蔵、尽きることがない、ということです。神さまがアブラムに与えるもの、それは尽きることのない大きな恵みです。アブラムはエジプトの失敗を通して大きな信仰の転換、飛躍を経験したのではないでしょうか。アブラムはロトとは異なり、神さまが目を上げて見よ、と言われたものを見て、それを受け取っていったのです。

聖書には、「見よ」という言葉が何度も出てきます。この「見よ」というのは、神さまが私たちに「見よ」とおっしゃっていることだと思います。そして、神さまが「見よ」と言われることを私たちは見るのです。神さまは繰り返し、繰り返し、私たちにそのことを語っておられます。

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