主を見上げて(二コリント2章12〜17節)
パウロはトロアスでテトスに会うことができませんでした。そのことについて、自分は「不安の心を抱いたまま・・・マケドニア州を出発した」(13節)とあります。パウロはトロアスでテトスに会い、コリントの教会の状況を聞くはずでした。ところが、そのテトスに会うことができなかった。それでパウロは不安の心を抱いた、とあります。不安の心を抱いてしまったパウロはこの後、宣教旅行を続けられたのでしょうか。マケドニア州を出発した、というのは、それでも、宣教旅行を続けた、ということです。なぜ、続けられたのでしょうか。パウロは状況に支配されなかったのです。目の前の出来事に左右されなかったのです。パウロは主を見上げたのです。主が自分に与えてくださった福音宣教の使命、そこを見つめ、宣教の旅を止めることをしなかったのです。私たちが主のみわざに励む、福音宣教に励む時も、パウロと同じく、心に不安を抱くようなことが度々起こってきます。福音を伝えても無理なのではないか。自分はその器ではないのではないか・・・。しかし、私たちはそこであきらめたり、止めてはならないのです。主を見上げていくのです。主は私たちに福音を伝えるという使命を与えておられる。その主御自身がいつも私たちと共におられる。主の言葉、主のまなざしに押し出されて歩んでいきましょう。
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