すべてに先立つ神様の選び(ヨハネ6章60〜71節)
「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(68、69節)。主の問いかけに対して、ペトロは見事な信仰告白をしています。ところが、主はこれに対して、このように言われました。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか」(70節)。主体的信仰は大事なことです。けれども、主はそれに先立って、神様の選びがあったことを示しておられます。私の決心は大事なことですが、それを導いたのは、実は神様であった。神様の選びが先立ってあったから、私たちは信仰告白、信仰の決心をすることができたのです。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(15章16節)。私の信仰決心、信仰告白。それに先立つ神様の選び。神様からの招き、呼びかけがあっての私。そのことを私たちは忘れてはならないのです。
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