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与えられる信仰(ヨハネ19章38節〜20章10節)

空の墓、それを見たもう一人の弟子のことがこのように記されています。「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」(20章8節)。私はこの後の20章9節の言葉から考えると、主が墓の中にはいなかったこと、主が取り去られたこと、そのことを信じた、ということだと思っていました。でも、改めてお読みしますと、そういうことではないように思えます。もう一人の弟子は空の墓を見て、信じたのです。主が復活されたことを信じたのです。この後の20章9節には「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」とあります。私はもう一人の弟子が主の復活を信じたこと、そして、しかし、この時、まだ聖書の言葉を理解していなかった、ということから、信仰というのは、復活を信じるということは、神様が与えてくださるものなのだ、ということを強く思わされました。私たちが聖書を深く理解したから、聖書の言葉をよく知っているから、復活を、主の救いを信じることができるかというと、そうではないと思うのです。まず、神様御自身が私たちに信仰を与えてくださる、信じる心を与えてくださるのです。私はまだ、教会に来たばかりだから。聖書の言葉もよく知らないから。そう考えて、信仰に入ること、バプテスマを受けることはできないと思われる方があるかもしれませんが、信仰は神様が与えてくださるものです。そして、信仰をもって聖書を読む時、そこで初めて、聖書を理解することができるのではないでしょうか。

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