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主の前に憩う(コヘレト4章4〜6節)

コヘレトの言葉4章6節に「憩いを得る」とありました。私たちにとっての憩いとは何でしょうか?私はある牧師先生とお話していまして、その先生がおっしゃっていたことが印象に残っています。それは私たちクリスチャンは憩うため、休みを得るために生きている、生かされているというのです。憩うとか、休みとか言いますと、私たちは明日から始まる仕事のために休むということを考えます。休みは仕事のための手段です。しかし、その先生はそうではないというのです。休みが目的だというのです。そして、その休みとは霊的な休み、休息のことだというのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11章28節)。イエス様は休ませてあげよう、と言われました。そして、その休みとはイエス様のもとに来ることによって得られると言われます。私たちが主のもとに行く時、そこでこの私は何者であるのか、神様の御前に立つ時、そのことを知らされます。この私は神様に造られた者、神様に愛された者、罪人であり、しかし、神様の御子イエス様の十字架の救いによって赦され、新しく生きる者とされた私・・・。主のもとに行く時に私たちは本当の自分を取り戻すのです。それが霊的な憩い、休みです。この憩い、休みをいただくことによって新しく生きることができるのです。

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