信仰告白に導かれるように(マタイ27章45〜56節)
私たちは救い主イエス・キリストを人々に宣べ伝えています。いいえ、私の生活は証しになっていません、と謙虚に言われる方がありますが、存在そのものが証しです。家族や友人に救いを宣べ伝えてもなかなか教会に来てくれない、主を信じてくれない。私たちは自分の無力さや働きの足りなさを嘆きます。しかし、ここで一つおぼえていただきたいことがあります。百人隊長が、そして、見張りをしていた人たちがどうして信仰告白をすることができたのでしょうか。その時、主の弟子たちはいなかったのです。でも、彼らは主を告白したのです。それは彼らが主の十字架を見たからです。そして、主がこの私のために死んでくださった。そのことを受け入れたからです。
私たちが人々を主の救いへと導くためにできること。それは何でしょうか。私たちが上手に言葉で説得すること、立派な生き方を見せることでしょうか。いいえ、私はそうではないと思います。私たちが主を宣べ伝えたいと願うお一人お一人が主に出会うことです。主がその人に語りかけ、出会ってくださるように。そのために私たちができることは何よりもまず祈ることではないでしょうか。
「本当に、この人は神の子だった」(54節)。このことをいつの日か告白できるその日が来るように、私たちはひたすら、地道にイエス様を人々にお知らせしていくことに努めていきましょう。主御自身がその人に出会ってくださるように、その人の心が主に開かれるように祈りつつ励んでいきましょう。
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