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聖書の画像 板橋の教会

神の恵みによって今の私がある(エフェソ3章1~13節) 【週報巻頭言】2023年12月17日

神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。(エフェソ3章7~9節)

パウロは、神さまによって、この恵み、福音に仕える者とされた、と言っています。8節には、「この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました」とあります。パウロは、自分のことを「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者」と言っています。「最もつまらない者」。別の訳では、「最も小さい者」(口語訳)と訳されています。

私たちは、時々、こういうことをつぶやくかもしれません。「自分は何とつまらない者だろうか」。人生の失敗や挫折を経験すると、何か事柄が順調にいっていないと、自分のことを嘆いたりするかもしれません。それでは、パウロも自分のことを嘆いていたのでしょうか?お読みした聖書の言葉とよく似た言葉が別の個所にもあります。

わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。(一コリント15章9節)

ここでもパウロは、自分のことを「使徒たちの中でもいちばん小さな者」と言っています。さらには「使徒と呼ばれる値打ちのない者」とも言っています。なぜ、ここまで、自分のことを言うのでしょう?自分を卑下しているというか、卑屈になっているとも思えるように聞こえますが、ここには理由が語られています。「わたしは、神の教会を迫害したのですから」。かつて私は神さまの教会を迫害していた。神さまに対して、私は罪を犯してしまった。この罪の意識から、このように語っているのです。しかし、パウロは、そこで留まりませんでした。同じコリントの信徒への手紙一には、こういう言葉が続けられています。

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。(一コリント15章10節)

神さまの恵みによって、今の私があるのだ、と言っています。これは自分の罪が赦されたことを信じる者の喜びの言葉です。私はこの恵み、イエス・キリストの十字架の贖いによって、罪を赦され、神さまの救いのご計画のために働く者とされました、と喜びの言葉を語っているのです。

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