主イエスの名によるバプテスマ(使徒言行録19章1〜10節)
パウロはヨハネのバプテスマとはどういうものであるかを説明しています。それは「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼(バプテスマ)を授けた」(4節)とありますように、悔い改めのバプテスマです。自分の罪を罪と認め、悔い改めて生きる。それは罪に生きてきた、神様の喜ばれない、悲しまれるような生き方をやめて、神様が求められることは何かを知り、神様の喜ばれる生き方に励む生き方です。彼らは熱心に、一生懸命、主に従っていった人たちであったと思います。しかし、パウロは何かが違う。違和感を持ったのです。それであなたがたは聖霊を受けましたか?どんなバプテスマを受けましたか?と聞いたのです。さて、パウロから聖霊について、バプテスマについて聞いた人たちはどうしたでしょうか。「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼(バプテスマ)を受けた」(5節)。彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けた、ということです。これは私たちと同じです。私たちもイエス・キリストを救い主と信じた方は主イエスの名によるバプテスマを受けたはずです。主イエスを信じる時、神様の前に自分が一人の罪人であることを知り、悔い改めました。しかし、私たちはヨハネのバプテスマに留まりません。一生懸命、自分の力で、自分の頑張りで神様に従い、信仰生活を送る。いいえ、実は信仰生活はそんな甘いものではないのです。自分の力、自分の頑張りでは続かないのです。やがて、そういう信仰は破たんします。それではどうすればいいのでしょうか?主イエス・キリストの名によって生きるのです。主イエスの名によるバプテスマ。それは聖霊を受けて生きるということです。聖霊が私たちの内にある。聖霊なる神様が、イエス・キリストが私たちの内におられ、私たちの人生の主となり、この方が私たちを導いてくださるのです。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテヤ2章20節)。
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