あなたは良くなった(ヨハネ5章1〜18節)
ヨハネによる福音書の中で、病気や障がいは罪の結果であるか、そのことについてイエス様が語られている箇所があります。「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」(ヨハネ9章1〜3節)。
生まれつき目の見えない人について、弟子たちはこの人が目が見えないのはだれが罪を犯したからですか?と質問をしています。弟子たちは目が見えないのは罪の結果と考えていたわけです。これは当時のユダヤの人々も同じ因果応報の考えです。ところがイエス様の答えは病気や障がいは罪の結果ではない、「神の業がこの人に現れるため」と言われました。
このようなイエス様の言葉を聴く時、今、私たちは「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない」(ヨハネ5章14節)。これをどんなふうに聴くでしょうか?あなたは良くなった。それはあなたに神様の然りが語られている。然りということ、イエス様があなたを良しとしてくださっているということです。イエス様はあなたを良き者としてくださっている。だから、あなたはもう罪を犯す必要はない。罪に生きる必要はない。あなたは私とつながっているから、もはや罪に支配されていない。神様の支配に生きる者とされている。イエス様が私たちを罪から守ってくださる、助けてくださる。だから、罪を犯すことは止めよう。イエス様と一緒に愛する人生、神様を愛し、人を愛する人生を生きていこう。そういうイエス様のメッセージが語られているのではないでしょうか。
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