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神の栄光のために(ローマ15章7〜13節)

ローマの信徒への手紙15章7節には、「神の栄光のために」ということが言われていました。私たちが互いに相手を受け入れるというのは、神様の栄光のためなのだ、というのです。別の訳では、このように訳されています。「キリストがあなたたちを受けとめてくださったように、あなたたちは互いを受けとめ、神を輝かし出してください」(本田哲郎訳)。この訳では、神様の栄光のために、ということが、神様を輝かし出してください、となっています。イエス様の山上の説教の中にはこのようなことが記されています。
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5章14〜16節)。
 「あなたがたは世の光である」とあります。ここで注意しなければならないことは、あなたがたは世の光になりなさい、とは言われてはいない、ということです。もう既にあなたがたは世の光なのだ、ということです。イエス様を救い主と信じたら、神様と信じたから、その人は世の光なのです。世の中を照らす光となった、というのです。それで「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」とあります。しかし、私たちそのものが光なのではありません。ヨハネによる福音書1章4、9節には光について、このように書かれています。
「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1章4節)。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1章9節)。
 ここで言われていることはイエス様のことです。イエス様こそは命の言葉、命そのものであって、人間を照らす光、私たち人間に希望を与え、生きる力を与える方であることが言われています。ですから、私たちはそのイエス様という光を人々の前に輝かすように努めるのです。それは具体的には、イエス様を人々にお伝えすることです。私たちの言葉や生き方でお伝えしていくのです。

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