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主われを愛す(ヨハネ11章1〜16節)

ヨハネによる福音書11章からは、ラザロのことが記されています。マリアとマルタの姉妹はイエス様のもとに使いを送り、そして、自分たちの兄弟ラザロが病気であることを伝えています。「姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた」(ヨハネ11章3節)。彼女たちの兄弟であるラザロについて、「あなたの愛しておられる者」と言っていることは注目すべきことです。ラザロはイエス様、あなたの愛しておられる者です。
ラザロのことを心から愛していた、大切に思っていたのは、マリアとマルタの姉妹であったでしょう。しかし、この姉妹たちは自分たちももちろん愛しているラザロであるけれども、イエス様も愛しておられる。そう信じていたのだと思います。それはこの姉妹がイエス様との出会いを、人格的な出会いを体験し、自分たちはイエス様に愛されているということを知っていた。そして、私たちを愛しておられるイエス様はラザロのことも愛しておられる。そう信じていたのだと思います。
イエスを主と信じた私たちもイエス様がこの私を愛しておられる、と信じていると思います。イエス様を信じるというのはそういうことです。イエス様がこの私を愛しておられることを信じる。子供の時、教会学校でよく歌った賛美歌が「主われを愛す」でした。子供の時におぼえた歌は口ずさむことができるほど、おぼえているものです。「主われを愛す」。救い主イエス様は私を愛しておられる。
 そのイエス様は私を愛しておられるだけでない。私が愛している家族のことも愛しているはずだ。私たちはそう信じたいと思います。マリア、マルタは、私たちを愛しているイエス様は私たちの兄弟ラザロのことも愛しているはずだ。だから、彼女たちはこのように言うことができたのです。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」。この確信を私たちも大事にしたいと思うのです。皆さんの家族や友人、出会う人、その一人一人について、主が愛しておられる者。
もしかして、その人はまだイエス様に出会っていない。イエス様を信じていないかもしれません。でも、イエス様はその人を愛している。イエス様は、私を愛さないから、私もあなたを愛さない。そういう方ではありません。考えてみると、私たちもかつてはそうでした。イエス様を知らない、愛さない。でも、その時も主は私たちを愛しておられました。そして今、その愛を知り、その愛に応えて生きようとしています。クリスチャンとして生きるというのはそういうことです。イエス様の愛を信じて、その愛に応えて生きる。新たに主に出会い、主の愛を信じて生きる方がありますように。

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