罪を告白し合い、互いのために祈りなさい(ヤコブ5章12〜20節)
「罪を告白し合い、互いのために祈りなさい」(16節)とありました。お互いが憎み合ったり、裁き合ったりしている状態というのは、イエス様の十字架の愛を忘れてしまっている、離れてしまっている状態なのではないでしょうか?聖書が教える罪というのは、神様の愛から離れていること、神様を信頼しないことを言いますから、罪に陥っている状態と言えるのではないでしょうか?そういうお互いが神様の前に自分の罪を告白する。「神様、私は人を憎み、裁き、あなたの愛と赦しから離れていました。お赦しください」。そのような罪の告白、悔い改めがなされる。そうするならば、お互いが本当に愛し合い、赦し合う群れとされ、教会は前進していくのではないでしょうか。
「信仰に基づく祈り」(15節)、「正しい人の祈り」(16節)、それは何か特別な信仰深い、完全な信仰を持った人の祈りということではなくて(実際にそういう人はいません)、本当に祈るべきことを祈るということではないかと思います。今、この教会にとって本当に必要なこと、またそれぞれの個人にとって本当に必要なことを祈るということです。イエス様の弟子たちはイエス様に向かって、ある時、このようなことを言いました。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11章1節)。このように求めた時、主は弟子たちに主の祈りを教えてくださいましたが、私たちも主よ、私たちが本当に求めるべきこと、願うべきことを教えてください、と祈っていくところから始めていきたいと思うのです。主よ、私たちの教会の歩みを導いてください、主が私たちの教会に求めておられることをお示しください。そのような祈りを行なっていきたいと思うのです。
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