罪と戦って血を流された方(ヘブライ12章4〜13節)
ローマの信徒への手紙12章15節に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とあります。これはとても美しい聖書の言葉の一つであると思います。共に喜び、共に泣く。そういう生き方は人間として美しいものだと思います。けれども、これを実践する、行なうとなるとどうでしょうか?ある人はこの聖書の言葉について、共に泣くことはできるけれど、共に喜ぶことは難しいと言います。特に自分が苦しみのただ中にある時、人の喜びを共有、共感するのは難しいと言います。一方で、共に泣くということはそれに比べると、難しいものではない、と言う方もいます。
共に喜ぶ、ということは難しい。共に泣く、ということでは、人が試練に遭っている時は共感できる。けれども、その人がその試練を乗り越えたら、もうその人に共感できなくなる。人の不幸は共感できても、人の幸せは共感できないというのはどういうことなのだろう?自分自身のことでもそのことを思いますが、それが人間の心の貧しさであり、人間の罪の姿であると思うのです。ヘブライ12章4節の「罪と戦って血を流すまで」とは、そういう私たちの罪、どこまでも自己中心で他者を愛せないことを知っておられ、その私を罪から救いだし、新しい人として生きるように、愛する者となるように、血を流された方、救い主イエス・キリストのことであるということ。罪に対して、自分では戦えないでいる、打ち勝つこともできないでいる私たちができることはただ一つ、この方を信じて生きることなのではないでしょうか。
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