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【週報巻頭言】2022年8月14日 その兄弟のためにもキリストが死んでくださった(一コリント8章7~13節)

一コリント8章10節に「その人は弱いのに、その良心が強められて」とありました。ここで「弱い」というのは、神さまに対する信頼が弱い、ということですが、それはまだ神さまのことをよく知らないからです。けれども、神さまを知れば知るほど、神さまこそは信頼すべきお方であることが分かってきます。そして、神さまと私という関係が確立していきます。しかし、まだ弱い状態なのに、良心が強められてしまう。これはどういうことを言っているのでしょうか?

「良心が強められて」という言葉を別の訳で見てみますと、「後押しされて」(新改訳2017)と訳されていました。後押しされて、というと、誰かに強いられて、という意味になります。すると、「その人は弱いのに、その良心が強められて」というのは、その人の心、内面の部分は弱いのに、外側から強く後押しされて、強いられて、ということになります。福音は素晴らしいものです。私たちは積極的に福音を宣べ伝えていきたいと思います。また主を信じる一人一人の信仰の成長を願っていきたいと思います。しかし、この後押しする、強いる、ということについては気をつけなければなりません。

8章11節には、「そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです」とありました。ここでパウロは偶像に供えた肉を食べるか食べないか、そのことよりも大事なことがあることを示します。それは「その兄弟のためにもキリストが死んでくださった」ということです。最も大事なこと、それはキリストが私のために、あなたのために死んでくださった、ということです。あの人に、この人に、福音を伝えてやろう、教えてやろう・・・。そういう熱心さも良いですが、それ以上に大事なことは、自分が福音を伝えようとしているあの人のためにも、教えようとしているあの人のためにも、イエスさまが死んでくださった。イエスさまはその一人一人が罪から救われ、永遠の命に生きるために、ご自分の命をささげて愛してくださった、ということです。私たちが後押しするよりも、強いるよりも、その人がイエスさまに愛されていることをおぼえ、そして、その人自身がイエスさまに出会っていくように。イエスさまとの関係に生きることができるように。そのことを祈る者でありたいと思うのです。

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