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アブラハムの生き方から(ヘブライ11章8〜22節)

 アブラハムは神様が示す約束の地へ行きました。しかし、幕屋に住んだ(9節)とあります。それはなぜでしょうか?天の故郷を信じていたからです。この世においてはよそ者、仮住まいの者として生きたのです。それはこの世に固執しない、この世に支配されない生き方と言うことです。そして、それは自分に固執しない、自分に支配されない、と言う生き方でもあります。自分さえ良ければよい、と言う生き方ではない、他者のために生きる、他者の喜びや悲しみを一緒に喜び、悲しむ生き方です。これこそは聖書が教える生き方です。けれども、なかなかそういうふうには生きられない私たちですが、どこを見つめて生きるか、何を目当てに生きるかが大事です。自分の罪深さ、自分の弱さだけを見つめて生きるのではなく、私たちを愛しておられるイエス様を見つめて生きるのです。そこから、生きる力、愛する力が与えられるのです。
 私たちは神様から造られ、愛されて生きている者です。そして、この地上、この世では神様の教えに従って生きるように召されています。イエス様は弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15章12節)。イエス様ははっきりと、これがご自分の掟であると言われました。この短い言葉から、二つの大切なことが言われています。一つは「わたしがあなたがたを愛したように」とありますように、神様は私たちを愛していると言うことです。そして、二つ目は「互いに愛し合いなさい」と言うことです。神様が私たちを愛されたように、あなたがたも互いに愛し合いなさい、と言われているのです。私たちは、天の故郷を目指しながら、この地上でどのように生きていったらよいでしょうか?お読みしました聖書には、生き方の原則、土台が言われています。自分が神様に愛されていることを知り、神様が愛されたように、互いに愛し合うと言うことです。神様の愛がこの地上でも、この世でも大いに表わされ、一人一人が神様によって本当に生きた者となるように、私たちは祈りつつ励んでいきましょう。

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