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キリスト者にふさわしい生活とは?(ヘブライ12章14〜24節)

 新共同訳聖書ではヘブライ人への手紙12章14節以下に「キリスト者にふさわしい生活の勧告」という小見出しが付いていました。「キリスト者にふさわしい生活」というのは何だろうと考えてみました。キリスト者、クリスチャンというと、一般的にはいろいろなイメージがあるように思います。真面目な人であるとか、善い行いを求める人などありますが、そういうイメージ通りに生きることがキリスト者にふさわしく生きるということではありません。キリスト者、クリスチャンというのは、言い換えますと、神様の恵み、神様の愛と義を知っている人、信じている人です。私は神様から命を与えられ、生かされている。そう信じて生きる人のことです。ですから、このキリスト者にふさわしい生活、生き方というのは、神様の恵みに応える生き方と言ったらよいかと思います。皆さんそれぞれが私はどのようにして神様の恵みに応えていったらよいだろうか?そのことを祈りながら考えていくのです。そして、私はこうだ、と思ったら、そのように歩み出していくのです。
 信仰生活というのは、まず、受けるということが大事です。神様の恵みを受ける。しかし、受けることに留まるのではなく、私たち自身も求めるのです。イエス様は山上の説教の中でこのように語られました(マタイ7章7、8節)。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイ7章7、8節)。求めなさい、と言われました。ヘブライ12章14節にも「追い求めなさい」とありました。何を追い求めるのかというと、平和を追い求める、聖なる生活を追い求めるのです。その「求める」ということを「近づく」という言葉でも表されていました。「あなたがたが近づいたのは、・・・新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」(ヘブライ12章22〜24節)。イエス・キリストの十字架の救い、それは和解、平和の福音に生きるということです。

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