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イエスの後について行った(マルコ1章16〜20節)

自分はイエス様の弟子としてふさわしい。そう思われる方は一人もおられないと思います。それはまともな受け止め方だと思います。自分のことが分かっていたらふさわしいなんて思うはずがありません。コリントの信徒への手紙一1章26〜31節には、神様が私たちを選ばれた理由として、私たちが自分を誇ることがないため(同29節)、自分ではなく、神様を誇るため(同31節)とありました。私は欠けだらけの人間です。何も誇るものはありません。けれども、そういう私を神様は愛し、ご自分の弟子として招いてくださった。その神様を私は誇ります。その神様にありがとうございます、と感謝を表わします。それがイエス様の弟子です。マルコによる福音書1章20節にこういうことが記されていました。「イエスの後について行った」。
イエス様の弟子というのは、イエス様の前に行く者ではありません。イエス様の後について行く者です。それが反対になる時、その人はどんなに能力があっても、どんなに知識があっても、イエス様の弟子として歩むことはできないのです。けれども、何が無くても、何ができなくても、イエス様の後について行く人はイエス様の弟子として歩んでいるのです。ただイエス様を誇りとして、イエス様を喜びとして、この方の後について行きましょう。

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