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神の律法に生きるということ(マルコ1章35〜45節)

 イエス様は重い皮膚病の人に触れました。イエス様は律法違反を犯してまで、この人を癒やされたのでした。ところで、律法とは何でしょうか?神様は人々がご自分に従って生きるために律法を与えてくださいました。しかし、律法主義に陥る者が出てきました。律法主義者というのは、律法を守ることそのものを目的にし、そのことで自分は忠実に律法を守っているけれども、そうでない人は神様に対して罪を犯していると言って裁いた人たちのことです。最終的には律法そのものを守るというよりも、自分の忠実さ、正しさを表すことが目的になってしまった人たちのことです。
 イエス様はそういう間違いに対して、神様が律法を与えた本当の意味を教えられたのです。律法のためでなく、人のために律法があるということです(マルコ2章27節参照)。神様が律法を人に与えたのは人が神様に従って、互いに愛し合い生きていくためです。今日の箇所では、イエス様がこの重い皮膚病の人に触れられた。病ゆえに人々から疎外され、差別されていたこの人に触れることによって、主はこの人を愛しておられる、この人と共におられることを示されたのです。
 イエス様の日常、イエス様の習慣、イエス様が大切にされたこと、それは神様の言葉に聴くということでした。神様との生きた交わりから、宣教を、福音を宣べ伝えたのです。そして、重い皮膚病によって苦しむ一人の人と出会われました。この人は汚れた人ではない。この人は人々の中で生きていくことができる!そのことを主はこの人に触れ、癒やすことを通して示されたのです。

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