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小さな者とは?(マタイ18章10~14節)

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」(マタイ18章10節)
「小さな者」とはだれのことでしょうか。「小さな者」とは、主が呼び寄せられた子供たちのことです(同3~5節)。しかし、実は私たちもその一人なのです。主の弟子たちは、主の言葉を聞き、子供が小さな、愚かな者と考えたいたけれども、自分たちもその一人なのだ、ということに気づかされていました。お互いを軽んじないように。この言葉は強く心に突き刺さったと思います。ところで、ここに「彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいる」とありました。これはどういう意味でしょうか?神様は私たちを愛しておられ、私たちに神様の守りを与えてくださっているということが言われているのです。自分の小ささ、愚かさ、弱さを知る者は自分の力で生きていく、生き抜いていくことはできないことを知っています。そして、神様の守り、助けがなければ生きていくことはできないことを知っています、信じています。私たちも神様の御顔を仰いで、神様の守り、助けを求めて、信じて生きるのです。
 12節以下には、迷い出た羊のたとえが記されていました。迷い出た。それは羊飼いである神様のもとから離れてしまった一人ということです。その迷い出た、離れてしまった一人に対する神様の思い、心がここに示されています。「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」(同12~14節)。
 離れてしまった一人をどこまでも探し求める神様のことが示されています。そして、私たちも、自分が九十九匹の羊ではなく、あの迷い出た一匹の羊のような者であることを忘れてはならないのです。神様はそういう私たち一人一人を愛し、喜ばれるお方です。神様が探し求めてくださり、招いてくださり、今の自分があることをおぼえたいと思います。

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