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ともし火がやって来た?(マルコ4章21〜25節)

 「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない」(マルコ4章21、22節)。
 ともし火というのは、ランプのようなものです。升の下や寝台の下に置くだろうか、というのは、置くはずはありませんね、ということです。なぜなら、ランプは夜、部屋を照らすためのものだからです、明るくするためのものだからです。升の下に、寝台の下に置いたら意味がありません。燭台の上に置くなら、部屋全体を照らし、明るくします。
 ところで、ここにはともし火について、「ともし火を持って来る」とありました。これは直訳すると、「ともし火がやって来る」ということです。ともし火、光がやって来る。これはイエス様のことです。イエス様は世の光です。イエス様という世を照らす光がやって来たのです。ヨハネによる福音書1章9節にはこういう言葉があります。「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」。
 ところが、せっかくイエス様がおいでになったのに、私たちはその方を升の下や寝台の下に置くようなことをしていないでしょうか?私たちがイエス様に救われたのは、ただ天の国に入るというだけではなく、この世にあって、イエス様という光を表すためなのです。私たちは、イエス様という真の光が表されるように、祈りつつ、伝えていきましょう。

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