【巻頭言】2020年4月26日 主の執り成しの祈り(ルカ23章26~43節)
主は十字架におかかりになりました。主が十字架のうえで祈られた祈りの言葉がここに書かれています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(34節)。ここに言われている「彼ら」とはだれのことでしょうか?私たちのことです。これは主が私たちのためになさった執り成しの祈りです。自分が何をしているのか知らない、本当の自分を知らない、自分の罪も知らない。そういう私たちのために主は祈られ、主は十字架にかけられたのです。
主が十字架につけられている場面、その絵画を見たことがあります。真ん中にイエス様、その両脇に一緒に十字架につけられた犯罪人の姿があります。一人の犯罪人はイエス様にこのように言います。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(39節)。もう一人の犯罪人はそれに対して、こう言います。「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(40、41節)。
イエス様の両脇の犯罪人、彼らのイエス様に対する態度は対照的です。最初に主に話しかけた犯罪人は、自分と私たちを救ってみろ、と言いましたが、この人にとって救いとは自分の願いを実現することでした。一方、もう一人の犯罪人、彼はイエス様について、こう言っています。「この方は何も悪いことをしていない」。さらにこのようなことも言っています。これはイエス様に向けての言葉でした。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)。
なぜ、このようなことが言えたのでしょうか?ある牧師先生は、この犯罪人はイエス様の祈りを聴いていたからだ、と言われます。イエス様の祈り、あの執り成しの祈りです。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。この祈りを聴いて、彼は分かったのです。自分の罪が、そして、救いが。十字架のうえで、死を前にして、この方は私たちのために祈ってくださっている。この方こそは真実の人だ、この方こそは本当の救い主だ。だから彼は主に対して、このように言うことができたのです。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。主は彼にこう言われました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)。
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