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ありのままの私を愛しておられる方(二コリント5章11〜21節)

「わたしたちは、神にはありのままに知られています」(11節)とありました。ありのままに知られている。すべてを知られている。そうであるのに、私たちは自分のありのままを隠そう、隠そうと一生懸命になっているのではないでしょうか。それはただ外見、外面的なことだけではありません。信仰すらも、自分のありのままの姿を隠すための道具としてしまうことがある。私はこんなにたくさん奉仕をしました。私はこれだけ聖書の知識があります。そうやって、まわりに自分の信仰を誇る。でも、信仰はそういうものではないと思います。信仰とは、まさにありのままの、裸の自分が神様の前に出ることではないでしょうか。自分の罪も、弱さも、すべて、神様の前に明らかにする。どうしたって、神様の前には何も隠すことはできないのです。人には隠せたとしても、神様の前には隠すことはできないのです。パウロはこのようにも記しました。「わたしは、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います」。真実に生きようとするパウロの姿をここに見ます。ありのままの私。それは神様の前に罪深い私です。けれども、神様に愛され、赦された私です。そのことを知る時、私たちは立って行けるのです。

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