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2020年6月21日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「神に愛されている子供として生きる」


聖書―エフェソの信徒への手4章25節~5章2節
(はじめに)
もう週報などでお伝えしていますが、私たちの教会の2020年度の聖句と標語が決まりました。年度聖句は新約聖書・ローマの信徒への手紙12章12節の「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」です。年度標語は「キリストに生きる新しい生活」です。今日、お読みしました聖書の箇所、エフェソの信徒への手紙4章25節からの箇所を新共同訳聖書では「新しい生き方」という小見出しを付けています。キリストに生きる新しい生活、新しい生き方。今日の聖書箇所はまさにそのことが語られています。
先週、先々週の礼拝ではマルコによる福音書の聖書の言葉から聴いてきましたが、その中で語られていたことは、イエスさまが男性だけで五千人、女性と子供を合わせると、どれだけの人たちでしょうか、その人々に食物を与えられた、生きるために必要な糧を与えられた、ということでした。また病にある人たちのところに行って、そこで人々を癒やされたことも記されていました。私はその聖書の言葉から、別の聖書の言葉を思い起こしました。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)。ここで「父」というのは、すべてのものを造られた神さまのことです。神さまは悪人にも善人にも太陽を昇らせてくださる。正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。神さまはご自分の造られたすべての人間が生きるために必要なものを与えてくださる、必要な助けを与えてくださるということが示されています。
このような話を聞くと、神様を信じていないあの人にも、決して、正しい生き方をしていないあの人にも、同じなのですか?と憤慨する人がいるかもしれません。けれども、私たちは、自分自身が果たして、善人、正しい者なのだろうか?そのことを自問自答していただきたいと思うのです。神さまの前に立つ時、私たちは決して正しい者、善人とは言えないのです。ただただ神さまの愛によって赦されている自分であることを知らされるのみです。
イエスさまの弟子たちは舟に乗り、湖の上で大変怖い思いをしました。そのことを通して、逆風の中でも、苦しみの中でも、変わることなく、イエスさまは私たちと一緒におられることを体験しました。そういうイエスさまの弟子たち、そして、私たち、イエスさまを信じているという人はイエスさまの弟子です。私たちには特別な使命、ミッションが与えられています。それは私たちと同じように、生きるために必要なものが与えられている人たち、助けが与えられている人たちに向かって、与えられていることは当たり前のことではない。神さまがあなたを愛しているから、あなたのために必要なものが、助けが与えられている。その与えてくださっている神さまをお伝えし、神さまを感謝して生きるように導くのです。今日の説教題は「神に愛されている子供として生きる」としました。神さまの愛をお伝えし、感謝して生きること、それが神さまの子供としての生き方です。

(聖書から)
さて、今日の聖書の箇所から聴いていきましょう。イエスさまに出会った私たちは古い生き方から新しい生き方へと導かれました。古い生き方とは罪に支配された生き方、自分を中心にした生き方です。そこから離れて、新しい生き方、それは神さまの愛に支配された生き方、神さまを中心にした生き方です。その生き方の具体的な勧めが今日の箇所に記されていました。
「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです」(25節)。偽りを捨てること、そして、隣人に対して真実を語ること。嘘をついてはいけません。真実を、本当のことを言いなさい。そういう意味にも取れますが、ここで言われている「偽り」と「真実」とは、私たちの目から見ての「偽り」と「真実」ということではないのです。神さまの目から見ての「偽り」と「真実」ということなのです。
イエスさまを信じて、聖書を学んで歩んでいくと、今までの自分の考え方、価値観が変えられていく体験をします。例えば、教会の奉仕をする。最初のうちはそのことによって、人からほめられたい、認められたい。そういう思いから行っていたかもしれません。しかし、それは違う。人ではなく、神さまに対して行うこと、神さまがこの私を罪から救ってくださった、その喜び、感謝から行うことを聖書は教えている、ということに気づかされていきます。すると、人の目を気にしたり、人からどう思われるか、ということから自由にされて、解放されて、神さまに対する感謝から行っていくのです。それが偽りから真実へ、神さまの目から見た真実に生きるということです。
26、27節には、「怒り」について、「盗み」についての勧めが記されています。怒ってはならない、盗んではならない、ということが言われています。怒りについては、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません」(26、27節)とあります。怒ることそのものが罪ではないけれども、日が暮れるまで怒ったままではいけない。そうでないと、悪魔に隙を与えることになる、とあります。私たちは人との関係の中では怒りを覚えることがあります。正当な理由ならば、例えば、相手が不誠実なことをするなら、それに対して、怒ってもよいのです。しかし、日が暮れるまで、つまり、いつまでも怒り続ける、赦さない、ということであってはならないというのです。なぜなら、その怒りは相手への憎しみや呪う思いへと深まっていくからです。人を憎しみ、呪って生きると自分自身の心が痛んでいくのです。盗みについては、盗みを止めること。そして、「労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるように」、ということが言われています。盗みは人のものを不正に奪うことです。奪う生き方ではなく、与える生き方へ。ただ悪いことをしてはいけない、というだけでなく、むしろ、良いことに努めていきなさい、と言われています。
29節には、言葉について言われています。「悪い言葉」、それはどのようなものかというと、別の訳では「腐った言葉」と訳されていました。そのような言葉を口に出すのではなく、「ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」というのです。聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉。私たちがお互いの間でどのような言葉を語っているでしょうか?互いを造り上げる言葉、これは別の訳では「人の成長に役立つ」(新改訳2017)言葉とありました。造り上げる、成長する。元々の言語では建設、建て上げる、という意味です。教会が成長するために、建て上げられていくためにはどうしたらよいでしょうか?お互いの言葉が大事です。お互いが造り上げられる、建て上げられる言葉を語り合えばよいのです。言葉によって人は変わります、教会も変わります。
続いて、30節に「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです」とありました。神さまの聖霊を悲しませる。この後に「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい」(31節)ということが言われていましたが、私たちは神さまの聖霊を悲しませることをしてはならないのです。
神さまの悲しみ、憐れみ・・・。イエスさまが大勢の群衆をご覧になったときのことがこのように記されていました。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(マルコ6章34節)。これは先々週の礼拝で読んだ聖書の箇所です。「深く憐れみ」とありました。「腸(はらわた)がちぎれるような思い」と訳している聖書もあります。断腸の思い、あるいは心を痛められた、ということです。イエスさまは私たち人間の罪に支配された生き方、愛から離れた姿をご覧になって悲しまれるのです。
そういう私たちのために神さまはご自分のみ子をお送りくださいました。そのことが今日お読みしました聖書の箇所の最後のところに記されています。「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」(4章32節~5章2節)。

(むすび)
神さまが私たちにしてくださったこと、それは神さまが私たちを愛するゆえにその大切なみ子であるキリストをお遣わしになって、キリストが私たちの罪の犠牲となって十字架にかかってくださった。そのようにして、私たちを赦し、救ってくださったのです。この愛、この憐れみを受けた私たちは神さま、あなたの大切なみ子イエス・キリストをお送りくださってありがとうございます、と感謝の応答をしていくのです。今日の聖書に語られている新しい生き方、それは神さまの愛に対する私たちの感謝の応答としてなされていくものなのです。キリストに生きる新しい生活、それは私たちに与えられたキリストの愛、憐れみを知り、受け止めていくところから始まります。キリストに生きる、キリストと共にある新しい生活に生きていきましょう。

祈り
イエス・キリストの父なる神さま
主は私たちをキリストに生きる新しい生活へと招いてくださいました。古い生活、罪に支配され、自分を中心に生きていた私たちを主は救い出してくださいました。
私たちが語る言葉、それは私たちの心を支配していること、内側にあるものが言葉となって外に出てきます。人を傷つけたり、苦しめたり、神さまの聖霊を悲しませることの多い私たちです。どうか、お赦しください。そして、あなたの愛と憐れみを知り、それによって私たちを支配してください。
今日の聖書の言葉に「あなたがたは神さまに愛されている子供」とありました。そうです、私たちは神さまに愛されている者、その子供なのです。このことを忘れないで、神さまの愛に対する感謝の応答の日々を歩ませてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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