【巻頭言】2020年8月30日 主は天を仰いで呻き(マルコ7章31~37節)
イエスさまは耳が聞こえず、舌の回らない人を群衆の中から連れ出し、一対一で向き合われ、このようなことをなさいました。「そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である」(34節)。イエスさまは天を仰いだ、ということです。天というのは神さまがおられるところを意味します。ですから、天を仰いだ、というのは、イエスさまが神さまを見上げられた、ということです。そして、深く息をついた、ということです。この深く息をついた、という言葉、新しい聖書の翻訳である聖書協会共同訳では「天を仰いで呻き」となっています。新共同訳聖書で深く息をつく、という言葉が呻く、と訳されています。
呻く、という言葉、その言葉が出て来る聖書の箇所を読んでみたいと思います。ローマの信徒への手紙8章26節です。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」。ここに出て来る「“霊”」というのは、聖霊、神さまの霊ということです。聖霊は弱い私たちを助けてくださるとあります。私たちがどう祈ったら良いか分からない。その時、聖霊が言葉に表せないうめきを持って執り成してくださる、というのです。
私たちもどう祈ったら良いか分からない。何を祈ったら良いか分からないことがあります。またあまりにも心が打ちひしがれて、自分では祈れない、ということもあります。そういう私たちにとって、この聖書の言葉は慰めであり、励ましです。どう祈ったら良いか分からない、祈れない。そういう私たちのために聖霊が言葉に表せないうめきを持って執り成してくださるというのです。私たちのためにイエスさまご自身がまず、祈ってくださっているというのです。この主の呻き、祈りに支えられていることをおぼえたいと思います。
この記事へのコメントはありません。