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2020年8月30日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「主を避けどころとする人」


聖書―詩編2編1~12節
(はじめに)
 今日お読みしました聖書の言葉は詩編です。詩編は祈りの言葉が集められたものと言われます。この詩編を読んで、祈りを教えられた、と言われる方がおられます。祈りは神さまに対するお願いと考える方があるかもしれません。確かにそういう面はありますが、お願いだけではありません。祈りは神さまという方と一対一で向き合うということです。神さまとの会話、交わりです。新約聖書・フィリピの信徒への手紙4章6、7節のみ言葉をお読みします。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 「求めているものを神に打ち明けなさい」とありました。神さまに対して、心を開き、私たちの心にあるものを打ち明けるのです。そうすれば、神さまの平和(口語訳聖書では神さまの「平安」)があなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守ってくださる、というのです。繰り返しますが、祈りは神さまに心を開き、すべてを打ち明けることです。それによって神さまの平和、平安が私たちを守るというのです。
 
(聖書から)
 さて、今日お読みしました詩編2編ですが、四つの内容に分けて読むことができます。まず、1~3節です。
2:1 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち
/人々はむなしく声をあげるのか。
2:2 なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して
/主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか
2:3 「我らは、枷をはずし
/縄を切って投げ捨てよう」と。
 ここには神さまがお造りになった世界の様子が語られています。「国々は騒ぎ立ち/人々はむなしく声をあげる」とあります。さらに「地上の王は構え、支配者は結束して/主に逆らい、主の油注がれた方に逆らう」ともあります。これは神さまに対して、反する、逆らう人々、国々の姿です。ところで地上の王、支配者というのは誰のことでしょうか?私たちはこれを読むと、世界中の王や支配者のことを思い浮かべるかもしれません。しかし、私たちの心の中にも、王になりたい、支配者になりたいという思いがあることを忘れてはなりません。私たちの身近なところで、それは例えば、職場であるとか、家庭であるとか、そこで王になろうとする、支配者になろうとするようなことはないでしょうか?あるいはもうすでに自分が王となり、支配者となって、誰かを縛り付け、苦しめるようなことをしていないでしょうか?
 続く、4節以下の言葉を読みます。
2:4 天を王座とする方は笑い
/主は彼らを嘲り
2:5 憤って、恐怖に落とし
/怒って、彼らに宣言される。
2:6 「聖なる山シオンで
/わたしは自ら、王を即位させた。」
 ここには地上、この世ではなく、天のことが言われています。天はこの世の王、支配者に対して、笑い、嘲り、憤り、怒り、とありますが、この天というのは神さまのことです。神さまは人を縛り付け、苦しめる様子を知られ、それを怒っておられるのです。そして、この方はこう言われます。「聖なる山シオンで/わたしは自ら、王を即位させた」。神さまが王を即位させた、と言われました。それはどのような王でしょうか?そのことが7節以下に語られています。
2:7 主の定められたところに従ってわたしは述べよう。
主はわたしに告げられた。
「お前はわたしの子
/今日、わたしはお前を生んだ。
2:8 求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし
/地の果てまで、お前の領土とする。
2:9 お前は鉄の杖で彼らを打ち
/陶工が器を砕くように砕く。」
 ここに語られている神さまの言葉の中に「お前はわたしの子/今日、わたしはお前を生んだ」とあります。新約聖書・マタイによる福音書3章16、17節にこのようなことが記されています。「イエスは洗礼(バプテスマ)を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた」」。
 イエスさまがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられた時、神さまの霊である聖霊が鳩のようにイエスさまの上に降って来て、天から、つまり、神さまからの声が聞こえた、ということです。それが「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声でした。ここから分かることは、この詩編に出て来る神さまが即位させた本当の王さまというのは、私たちの救い主であるイエス・キリストであるということです。その方がおいでになったら私たちはどうしたらよいのでしょうか?そのことが10節以下に記されています。
2:10 すべての王よ、今や目覚めよ。
地を治める者よ、諭しを受けよ。
2:11 畏れ敬って、主に仕え
/おののきつつ、喜び躍れ。
2:12 子に口づけせよ
/主の憤りを招き、道を失うことのないように。
主の怒りはまたたくまに燃え上がる。

いかに幸いなことか/主を避けどころとする人はすべて。
 「すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ」。このすべての王とか、地を治める者というのは、この世の王や地を治める者のことだけでなく、身近なところで王や支配者になってしまう私たちのことでもあるのです。「目覚めよ」という言葉は「賢くあれ」(口語訳)、「悟れ」(聖書協会共同訳)とも訳されます。本当のことを知るように、そういう意味で理解したらよいでしょうか。神さまの教えてくださる本当の知恵、真理、それは私たちには聖書から語られます。ですから、聖書から神さまの言葉を聞いて生きることが言われているのです。
 「畏れ敬って、主に仕え/おののきつつ、喜び躍れ。子に口づけせよ」と続きます。ここで言われていることは神さまに対する態度です。神さまを畏れ敬うこと、神さまに仕えること、またおののきつつ、喜び躍るとか、子に口づけするというのは、神さまへの賛美、礼拝を意味しています。
 命令形で語られているこれらのこと、神さまの言葉を聞く、仕える、賛美する、礼拝するということは、神さまが私たちに求めておられることなのです。そして、これらのことは私たちが神さまを愛することを表す行為なのです。私は神さまを愛します。私にとって神さまは大切な方です。そのことを言葉や生き方で表すのです。韓国の教会でよく歌われたワーシップソングに「君は愛されるため生まれた」という賛美がありました。この賛美が示していることは、私たちは神さまに愛されるため生まれた、ということです。そういう私たち、神さまに愛されている私たちは愛するために生まれた者でもあるのです。神さまに愛されている私たちは神さまを愛するために、隣人を愛するために生きるのです。

(むすび)
 今日お読みしました詩編の最後の言葉は「いかに幸いなことか/主を避けどころとする人はすべて」ということでした。詩編1編に続いて、この詩編でも何が幸いであるかが示されていました。詩編2編が示す幸いな人、それは主を避けどころとする人です。「すべて主のもとに逃れる人」(聖書協会共同訳)とも訳されます。神さまのもとに逃げるということです。私たちはこの世にあってはいろいろな苦しみがありますが、聖書は神さまこそは私たちの避けどころ、私たちには神さまという逃げ場があると語ります。すべてを神さまに打ち明けて、委ねて歩んでまいりましょう。

祈り
天の神さま
詩編2編のみ言葉から聴きました。あなたこそは私たちの避けどころ、逃げ場です。苦しみにある人、弱っている人が神さまのもとに行くことができますように導いてください。
一方で私たちは自分が王となること、支配者となることを求めてしまいます。しかし、主が私たちにお示しになったことは仕える者として生きることです。私たちの生きてきた向きを変えてください。詩編の言葉にも「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません」(詩編51編19節)とあります。イエスさまの歩みに倣い、仕えられることよりも仕えることに価値を置く、喜びとする者としてください。
イエス・キリストのみ名によってお祈りします。                             アーメン

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