2020年9月27日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「恵みとして与えられていること」
聖書―フィリピの信徒への手紙1章27~30節
(はじめに)
今日お読みしました聖書には「キリストの福音にふさわしい生活」(27節)ということが書かれていました。私たちはこの日本という国に住んでいます。日本という国に住み、生きるためにふさわしい生活とは何でしょうか?日本の法律を守るということでしょうか。また、今、新型コロナの感染拡大がまだ収束していませんが、このような状況にあってのふさわしい生活というと、マスクを着用するとか、手洗いをするということになるでしょうか。
(聖書から)
もう一度、今日の聖書の最初の言葉を読みます。「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(27節)。ここでは、キリストの福音、それにふさわしい生活を送るように、ということが言われています。このことを考えるために、まず、キリストの福音ということを知らなければなりません。福音とは良い知らせということです。新型コロナの特効薬ができないだろうか。ワクチンはいつできるのだろうか。私たちは感染拡大の収束を願っていますが、特効薬、ワクチンなどが開発されるなら、問題は解決されていくでしょう。そういう知らせ、ニュースは大変喜ばしいものです。おそらく、開発されたら、「医学界に福音」という新聞記事が出ることでしょう。
キリストの福音。それはイエス・キリストという方が私たちのところにおいでになった!という良い知らせです。実はこのニュースは二千年以上前から届いているニュースですが、未だに知らない人が多くおられます。いいえ、イエスさまのことは歴史の教科書では知っている。幼い頃にクリスマスの祝会に教会に行って聞いたことはある。そういう人はおられるでしょうが、これこそが福音、良い知らせであるということを知らない人が多くおられると思います。
教会は二千年以上前からずっと、このことをお知らせしてきました。これからもお知らせしていきます。イエスさまが私たちのためにおいでくださった。それは私たちを罪から救い、神さまと共に愛の人生を生きることができるためにおいでくださったのです。イエスさまの福音が一人でも多くの方々に知らされ、受け入れる方がありますように心からお祈りいたします。
さて、キリストの福音にふさわしい生活とは何でしょうか?それはイエスさまを私たちの心にお迎えする生活、私たちの人生にお迎えする生活です。一人でお暮らしの方はイエスさまをお迎えしたら一人ではないのです。イエスさまと一緒の生活です。五人の家族がおられる方はイエスさまが一緒ですから、五人が六人になるのです。そして、その家族の中心はイエスさまなのです。それがキリストの福音にふさわしい生活ということです。
What Would Jesus Do?これは「もし、イエスさまだったらこんな時、どうするのだろう?」という意味です。この英語の頭文字のWWJD、この文字の付いたブレスレットがクリスチャンの若い人たちの間で流行ったことがありました。私たちの人生、いろいろなことが起こってきます。どうしようか?と私たちは迷います。その時、この文字を見るのです。もし、イエスさまだったらこんな時、どうするのだろう?そのことを知るために聖書の言葉を読んだり、お祈りしたりするのです。教会で普段から聖書を読み、お祈りをすることをお勧めするのは、私たちの心に神さまの言葉を蓄えるためです。旧約聖書・詩編119編11節には「わたしは仰せを心に納めています あなたに対して過ちを犯すことのないように」という言葉があります。「仰せ」というのは、神さまの言葉のことです。私は神さまの言葉を私の心に納めています、蓄えます、と言っています。それは神さまに対して罪を犯すことがないようにするためです。
キリストの福音にふさわしい生活。それはイエスさまを心にお迎えし、聖書から神さまの言葉を蓄え、神さまに祈る。そのようにして、私たちは毎日、神さまとお話ししながら歩んでいくということです。そうしたら、私たちの心は神さまの言葉によって養われていきます。私たち人間は生まれながらの罪人であると聖書は教えています。悪いことをしたから、考えたから罪人というのではなく、人間は元々、罪があるというのです。これは別の言葉で言うと、生まれながらの人間は愛のない、自己中心的な存在ということです。けれども、イエスさまに出会い、この方を受け入れ、神さまの言葉を聴いて歩んでいくと、私たちの心、人格が養われ、育っていきます。成長というと、私たちは身体の成長のことを考えがちですが、神さまの言葉によって、心が成長していく、愛が成長していくのです。私たちは共にキリストの福音にふさわしい生活を歩んでまいりましょう。
次に、今日の聖書の言葉、29節を読んでみます。「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。私たちは教会でいつもキリストを信じることが大事ですよ!と聞きます。でも、ここには、「キリストを信じることだけでなく」とあります。どういうことでしょうか?
イエスさまを信じること、それは大事なことです。生まれながらの罪人、自己中心で愛の欠けた私たち人間はイエスさまを受け入れて、神さまの愛を知り、神さまと共に互いに愛し合う生き方へと導かれました。そういう私たちに恵みとして与えられていることとして、ここで言われているのは「キリストのために苦しむこと」です。苦しむことも与えられている、それも恵みとして与えられていると聞いて、ああ、そんなことなら、イエスさまを信じるのをやめようかな?と思われた方、おられるでしょうか。
六月に教会で結婚式を行いました。新型コロナのことがあって、結婚式場で行う予定だったのができなくなった、ということでした。司式者である私と新郎新婦、みんなマスクを着けたまま、結婚式を行いました。結婚式では誓約をいたします。神さまの前に夫婦が誓いを立てるのです。新郎、新婦、それぞれに牧師がこのように尋ねます。「あなたは今からのち、幸いな時も災いの時も、豊かな時も貧しい時も、健やかな時も病む時も、互いに愛し、互いに助け合って、生涯を送ることを約束しますか」(日本基督教団 式文 〔試用版〕)」。すると、新郎も新婦も大きな声で、「はい、約束します!」と答えてくださいました。これがもし、「いいえ、私は幸いな時だけ、豊かな時だけ、健やかな時だけならいいですが・・・」何て答えたらどうでしょう。そんな結婚、そんな家族は嫌でしょう?それは愛の関係ではありませんね。
今日の聖書に戻ります。イエスさまは信じるけれど、イエスさまのために苦しむのは嫌だ!私たちは正直、そう思うかもしれません。でも、イエスさまの側のことを考えてみてください。この講壇に十字架があります。教会の建物のてっぺんにも十字架があります。これはイエスさまが私たちを罪から救うために十字架に掛かり、苦しみ、死んでくださったことを表しているのです。イエスさまは私たちのために苦しんでくださった。そればかりか、死んでくださったのです。イエスさまの歩みから知らされること、そして、もう皆さんも既に家族との関係などで体験しておられるかもしれません。それは愛するということは苦しみが伴うということです。イエスさまは私たちを愛するがゆえに苦しまれたのです。そして、そのことを知る私たちもイエスさまの愛に倣って生きるのです。それが「キリストのために苦しむ」ということです。
(むすび)
「キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」。今日の聖書の初めにこの言葉が書かれていました。これを「キリストの福音にふさわしい〔市民として〕生活しなさい」(岩波訳)と訳している聖書もあります。イエスさまを信じたら、私たちは神さまの国の市民なのです。神さまの国、天の国というと、私たちがこの地上の生涯を終えた後のことのように考えるかもしれませんが、イエスさまを信じたら、私たちはもうすでに今、神さまの国、天の国の市民なのです。聖書の中にこういう記事があります。ある時、ファリサイ派の人々がイエスさまに神さまの国、天の国はいつ来るのですか?と尋ねました。イエスさまは何とお答えになったでしょうか?イエスさまは「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17章21節)とお答えになりました。神さまを信じる私たちがイエスさまから受けた十字架の愛の恵みに倣って生きていくなら、そこは神さまの国、天の国だというのです。私たちは神さまの国、天の国の市民です。私たちに与えられた十字架の愛をお知らせしていきましょう。
祈り
恵み深い主なる神さま
今日もあなたは私たちを教会に呼び集めてくださって、あなたを礼拝することができますことを感謝します。
「キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と語られた聖書の言葉を感謝します。私たちは、立派に生きていかなければならない、非の打ち所のない者のように歩まなければならない、と思って臆してしまうことがありますが、神さまが求めておられるのはそういうことではありません。キリストの福音にふさわしい生活とは、イエスさまが私たちを愛してくださった。そのことを喜んで、感謝して生きることです。そして、イエスさまの愛を人々にお知らせすることです。
「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と語りかけられると、どう応えてよいか分かりませんが、この私たちを愛するがゆえに、イエスさまが苦しんでくださった、十字架にお掛かりくださったことを思うと、この私も愛するために生きるように、と言われていることを知ります。あなたの愛に比べたら小さな者に過ぎませんが、そういう者をもあなたのご用のためにお用いください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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