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2020年10月4日 主日礼拝(朝・夕拝)説教 「ペトロの信仰告白」


聖書―マルコによる福音書8章27~30節
(はじめに)
 イエス・キリストを救い主と信じた方は信仰告白というものを行い、そして、バプテスマ(洗礼)を受けられたと思います。その時行った信仰告白のことを思い出してみてください。おそらく、自分がどんな信仰告白をしただろうか?そのこともはっきりとはおぼえておられないのではないか、と思います。私自身がそうです。けれどもただ一つ、忘れていないことは、それは自分がイエス・キリストを救い主と信じます!と言ったことです。

(聖書から)
 今日の聖書の箇所について、新共同訳聖書では「ペトロ、信仰を言い表す」という小見出しが付けられています。イエスさまの弟子の一人であるペトロが信仰を言い表した、という内容であることが分かります。今日の箇所の内容に入っていきますと、イエスさまはご自分の弟子たちとフィリポ・カイザリア地方の方々の村にお出かけになったことが書かれています。このフィリポ・カイザリアという地名にあるフィリポ、これはある人物の名前です。フィリポという名前の人はマルコによる福音書6章17節に出て来ました。赤ちゃんのイエスさまを殺そうとしたヘロデ、この人物についてはヘロデ大王と呼ばれますが、その息子のヘロデ・フィリポ、この人が建設した町であると言われています。その地でイエスさまは弟子たちと神さまの福音を宣べ伝えていました。その途中でイエスさまはご自分の弟子たちにあることをお尋ねになりました。「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(27節)。これがイエスさまのお尋ねになったことです。
 弟子たちはそれに対して、答えています。28節を読んでみますと、「『洗礼者(バプテスマの)ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます」。イエスさまのことを人々は何者だと言っているのか、というと、ある人たちは洗礼者(バプテスマの)ヨハネだ、と言っているということです。洗礼者(バプテスマの)ヨハネという人はイエスさまが福音を宣べ伝える働きを始める前に、イエスさまに先立って、人々に悔い改めを語った人でした。悔い改めというのは、生き方の方向を転換する、向きを変えるという意味です。私たち人間は生まれながら、自分の方を向かって生きる者です。つまり、自己中心ということですが、ヨハネは悔い改めよ、生き方の方向転換をしなさい!と言ったのです。それは自分の方ではなく、神さまの方を向いて生きよ、ということでした。そして、ヨハネは私の後に、神さまが私たちのところにお送りくださる救い主を信じなさい、と言ったのです。
 イエスさまのことを何者だと言っているか。他にも、イエスさまのことを旧約聖書に出て来る預言者エリヤだ、と言う人たち、他の預言者たちだ、と言う人たちもいます、と弟子たちは答えました。皆さんだったら、どうでしょうか?イエスさまのことを皆さんの周りの人たちに聞いてみたら、何とお答えになるでしょうか?私が子供の頃、学校の図書館とか、本屋さんに行くと、子供用の偉人伝のシリーズがありました。野口英世とか、リンカーンとか、有名な人たちの伝記ですが、その中に「キリスト」という本がありました。それを読むと、イエス・キリストという人は人々に愛を説いた人であった、と書いてありました。おそらく一般的には、キリストという人は良い教えを、愛を人々に説いた人と理解されているのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
 さて、イエスさまはもう一つのことを弟子たちにお尋ねになりました。それはこういうことです。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(29節)。イエスさまが最初にお尋ねになったことは、人々は私のことを何者だと言うのか、ということでした。それに対して、次にお尋ねになったことは、あなたがたは私のことを何者だと言うのか、ということです。つまり、弟子たち自身にご自分のことをお尋ねになっているのです。
 弟子たちは何と答えたでしょうか?29節にはそのことについて何と書いてあるかというと、「ペトロが答えた。「あなたは、メシアです」」。イエスさまが最初にお尋ねになった時と違いがあることが分かります。それは何かというと、最初の質問に対して、弟子たちが答えているのです。イエスさまと行動を共にした弟子たち、十二人でしょうか、その何人か、あるいは全員が答えたのでしょうか、分かりませんが、弟子たちが答えた、ということが書かれています。一方、次の質問、あなたがたは私のことを何者と言うのか。このことに対しては、弟子たちではなく、ペトロが答えた、となっています。ペトロもイエスさまの弟子の一人でしたが、他の弟子たちはどうだったのでしょうか?ペトロだけが率先して、あるいはただ一人、イエスさまにはっきりと答えた、ということでしょうか?
 人々がどう言っているのか?こういう質問というのは、答えやすいものです。人がどう言ったか、聞き知っていたら、それをそのまま答えたらよいことですから。けれども、あなたがたはどうなのか?という質問、これは自分自身に対する問いかけです。あの人が、この人が、という話ではありません。弟子たちはこの質問に対して、おろおろとしてしまったのでしょうか?自分たちはイエスさまの弟子だと自負して、これまでずっとこの方についてきたけれど、イエスさまのことを自分たちはどれだけ知っていただろうか?イエスさまのこの問いに対して、すぐには答えることのできなかった弟子たちだった。その中で一人ペトロはすぐに答えたのでしょうか。「あなたは、メシアです」と答えました。
 メシア。それはヘブライ語で「油注がれた者」、「救い主」という意味です。新約聖書はギリシア語で書かれています。ギリシア語では「キリスト」です。あなたは、メシアです、キリストです、とペトロは答えたのです。新共同訳聖書はここをわざわざヘブライ語の言葉で救い主をメシアと訳していますが、ヘブライ語というのは、ユダヤ人の使う原語です。ユダヤ人が待ち望んでいた救い主という意味でこのように訳したのかもしれません。
 イエスさまの弟子の一人であるペトロはイエスさまのことを救い主であると告白しました。ペトロは他の弟子たちと違って、イエスさまのことをちゃんと理解していた、知っていた、ということでしょうか?今日の聖書の箇所はマタイによる福音書にも同じ内容の箇所があります。そこではイエスさまがペトロの告白に対して、このように答えた、と書いてあります。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタイ16章17節)。
 ペトロの元々の名前はシモンでした。バルヨナというのは、ヨナの息子という意味です。ですから、イエスさまはヨナの息子シモンよ、と言っているのです。そして、こう言われます。あなたは幸いです。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父、すなわち、神さまです、と言われました。ここでイエスさまが言われた意味はこういうことです。「あなたが私のことを救い主と告白した。それは正しいことです。けれども、それはあなたの悟りとか、知恵や力によるものではありません。神さまがあなたに教え、告白させたのです」。
 最初にお話ししましたが、ここにおられる方で、イエスさまを救い主と信じている方はご自分の信仰告白のことを思い出すことができますか?信仰告白の詳しい中身は忘れたかもしれませんが、確かにイエスさまは救い主です、と告白されたはずです。でも、それは自分の悟りや知恵、力によるものではなかったはずです。神さまが私たちの心を開いてくださって、イエスさまを救い主と言うことができる、信じることができるようにしてくださったのです。信じることができるようにしてくださった。つまり、信仰は神さまが与えてくださるということです。

(むすび)
 最後に二つの聖書の言葉をお読みして終わります。一つはこういう言葉です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15章16節)。ここで「あなたがた」というのは、私たちのことです。私たちがイエスさまを選んだのではありません。イエスさまが私たちを選んでくださったのです。
 もう一つの聖書の言葉です。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(一ヨハネ4章10、11節)。神さまが私たちを愛してくださった。だから、あなたがたも自分が神さまから愛されたように、互いに愛し合いなさい、ということが言われています。
 神さまに選ばれた私たち、神さまに愛された私たち。今日の聖書の言葉では、信仰も神さまが与えてくださったことが教えられていました。命も神さまから与えられました。生きるために必要なもの一つ一つも神さまから与えられました。イエスさまは私の救い主です、と信じて生きるとは、このように、私たちが神さまからすべてを与えられて生きている、神さまの恵みによって生きている、生かされていることを信じて歩むことです。ペトロも他の弟子たちもこの時はまだはっきりとはイエスさまのことは分からなかったかもしれません。しかし、イエスさまと共に歩んでいく時、少しずつでもイエスさまのことが、この方が本当に救い主であることが分かってくるのです。私たちもイエスさまと共に歩み続けていきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 あなたは今日も私たちを教会に呼び集めてくださり、礼拝を導いてくださいました。
 ペトロの信仰告白の箇所を読む時、自分の信仰告白のことを思い出します。何も知らないまま、ただただ神さまの恵みによって、イエスさまは救い主です、と告白させてくださったことを感謝します。
 人生の試練に遭う時、あるいは挫折するような時、いいえ、それだけでなく、成功体験する時も神さまのことが見えなくなることがあります。どんな時も主が共におられることを忘れないように助けてください。
 私があなたがたを選んだ、私があなたがたを愛した、という聖書の言葉を読みました。これはすべての人に語られた言葉だと信じます。どうか、この私を神さまが選んでくださった、愛してくださった、と受け止め、信じて、イエスさまにある新しい人生を歩まれる方がありますようにお願いします。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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