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【週報巻頭言】2021年4月4日 「神は何でもできる」の意味(マルコ10章17~34節)

イエスさまは弟子たちを見回して、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」(マルコ10章23節)と言われました。さらに「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(24、25節)とも言われました。これを聞いた弟子たちは「それでは、だれが救われるのだろうか」(26節)と言ったところ、イエスさまはこう言われました。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)。

イエスさまが言われた「神は何でもできる」ということ、それは私たち人間を永遠の命へ、神の国へと導いてくださるのは神さまだけであることを示しています。しかし、それはある一つの方法によってのことでした。イエスさまは弟子たちにこのようなことを語られました。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(33、34節)。

ここで言われているのは、エルサレムでの出来事です。人の子とあるのは、イエスさまのことです。イエスさまは十字架におかかりになり、死なれます。しかし、三日の後に復活されます。これが「神は何でもできる」ということです。「神は何でもできる」。それは、神さまは私たちを救うために何でもなさるということです。神さまがなさったことは、神さまは私たちを救うために、その大切なみ子であるイエスさまをお遣わしになり、ご自分の命をささげてくださったということです。このことによって、私たちは永遠の命へと導かれたのです。私たちは、この十字架の愛をおぼえて感謝して歩みましょう。

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