
【週報巻頭言】2021年8月8日 互いに励まし合い、建て上げ合う群れとして(一テサロニケ5章1~11節)
「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(一テサロニケ5章9、10節)
神さまは私たちを神さまの怒りによる裁きに定められたのではありません。私たちはイエス・キリストの救いにあずかるように定められました。そして、主は私たちを救うために死なれました。これは主が十字架にかかって死なれたということです。そのことのゆえに、私たちは目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになる。目覚めていても、眠っていても、とは、生きていても、死んでいても、ということです。私たちの中に、主を信じて、すでに亡くなられた人がいます。今、生きている人もいます。しかし、死んでいても、生きていても、私たちは主と共に生きる者とされた、永遠の命に生きる者とされた。その恵みが語られているのです。
「ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。」(同11節)
ここには私たちが主にあって、互いに励まし合い、お互いの向上に心がけていくように、という勧めが語られています。神さまは私たちを光の子とされ、救いに定められました。そして、主と共に生きる者としてくださいました。このことが私たちにとっての大きな励ましであり、慰めです。さらにそういう私たちに、お互いの向上に心がけるように、と言われています。この「お互いの向上に心がけなさい」という言葉は、聖書協会共同訳では「互いを造り上げるようにしなさい」となっています。他にも「各自が互いに建て合いなさい」(岩波訳)と訳されています。もとの言葉は建物を建設する意味の言葉で、建て上げるとか、造り上げる、と訳すことができる言葉です。教会とは、どういう群れでしょうか。教会とは、互いに励まし合い、慰め合う群れです。そして、互いを建て上げる、造り上げる群れです。私たちは、お互いが建て上げられていくように、造り上げられていくように、祈り合い、励まし合い、主にあって良き歩みを続けていきましょう。
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