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【礼拝説教】2021年9月12日「レプトン二枚」

2021年9月12日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「レプトン二枚」マルコによる福音書12章38~44節

聖書―マルコによる福音書12章38~44節
(はじめに)
 東京は今日まで、緊急事態宣言ということでしたが、さらに延期され、今月の30日までということになりました。コロナ禍になり、マスク着用、手指洗浄などを行うような生活はもう一年半を越えました。いつまで、このような生活が続くのだろうか?それとも、これからはこれが当たり前のようになっていくのだろうか?将来に対する心配を抱えながら日々過ごしていることと思います。この緊急事態宣言ということについても、何度もこの宣言が発出するにつれて、この言葉に慣れすぎてしまって、緊張感がなくなってきたように思います。信仰においても、慣れということはあります。神さまの恵みに慣れてしまう。イエスさまによって罪から救っていただいた。このことに慣れてしまい、救いの喜びも感じなくなってしまう、失ってしまう。これは気をつけなければならないことです。そのためには、いつも新鮮な思いで、イエスさまの救いの恵みを思い起こすことは大事なことです。

(聖書から)
 さて、お読みしました聖書には、イエスさまがあることに気をつけるように、と言われている箇所があります。何に気をつけるように、というのかと言いますと、「律法学者に気をつけなさい」(38節)ということです。律法学者というのは、聖書の舞台、ユダヤにおいて、宗教指導者という立場の人たちでした。律法、神さまの教えを専門的に学び、研究し、人々に教えました。そういう立場の人たちのことをイエスさまは気をつけるように、と言われたのです。
 その理由について、イエスさまはこのように言われました。「彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(38~40節)。これがイエスさまから見た律法学者の姿です。
 私たちはこれを読むと、イエスさまの時代のユダヤの律法学者というのは、とんでもない人たちだったのだ、と思うかもしれませんが、人から注目されること、もてはやされ、尊敬されること・・・、そういったことは私たちも好むことではないでしょうか?また律法学者といっても、みんながみんな、そういう人ばかりではなかったでしょう。その中には、イエスさまが言われるような人たちがいたということでしょう。
律法学者に気をつけなさい。イエスさまが気をつけるように、と言われるのはなぜかというと、この人たちは何を見つめて生きていたか、ということです。何を見つめていたか、つまり、何に関心があったか、というと、人の目です。人が自分のことをどう評価するのか。そのことが彼らにとって、大事なことだったのです。例えば、「見せかけの長い祈り」とありました。人々に見せつける祈り、聞かせる祈りをしていたのです。そういう律法学者のあり方に気をつけよ、それに倣ってはいけない、と言われたのです。
 これに続いて、41節から、賽銭箱の話が書かれています。これはエルサレムの神殿の賽銭箱のことです。そこにやって来た人たちが献金をささげていました。「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた」(41節)とあります。イエスさまは人々が賽銭箱に献金をささげている様子を見ておられた、というのです。
 今、私たちの教会では、この礼拝堂の後ろに献金箱を置いています。これは新型コロナの感染対策でそうしています。以前は献金当番の奉仕をする人たちが献金袋を持って、皆さんの席をまわっていましたが、接触する機会を減らすために、献金箱を設置しました。この献金箱の前に、イエスさまが座ってじっと見ているなんて考えたらどうでしょう?イエスさまから何か言われるのではないか?と恐れるかもしれません。
 神殿の賽銭箱ですが、イエスさまだけがその前に座って見ていた、というわけではなかったようです。今日の話の場面は、神殿の中庭です。そこには、外側には異邦人の庭があり、さらに内側には、婦人の庭があり、そこまでは婦人、女性が入ってもよいという場所だったようですが、そこにあったラッパの形をした十三の受け口をした賽銭箱だったそうです。ある説では、賽銭箱のそばには祭司がいて、ささげられた献金について、人々が献金する度に、誰々さんがいくらささげました、と告げていたとも言われます。そうすると、周りの人たちに、誰がどれだけささげたかが分かります。「大勢の金持ちがたくさん入れていた」とありましたが、たくさんの献金をささげた人たちは周りにもそのことが知らされ、注目されたかもしれません。イエスさまもそのささげものをご覧になっていたことでしょう。しかし、42節以下には、このようなことが書かれています。「ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」」。
 一人の貧しいやもめのささげものについて、「レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた」とあります。新共同訳聖書の後ろの方に通貨について説明した表があります。それを見てみますと、二レプトン、つまり、一クァドランスというのは、一デナリオンの64分の一ということです。一デナリオンというのは、当時の一日の賃金に相当するということです。その64分の一。本当に僅かな金額です。けれども、イエスさまはこのように言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」。
 イエスさまは、この人は誰よりもたくさんささげた、と言われました。なぜなら、他の人たちは有り余る中からささげたが、この人は乏しい中から自分の持っているすべてをささげた、というのです。このような話を聞きますと、それでは献金というのは、その金額よりも、自分の持っている中からどれだけささげたか、その割合が大事なのか?という話のように思えます。どうでしょうか、イエスさまが言われたのはそういうことなのでしょうか?
 もう一度、44節を見てみましょう。「この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」。この「生活費」という言葉ですが、この言葉は「生活」とか、「命」と訳すことのできる言葉です。そうしますと、このやもめは「生活を全部ささげた」、「命を全部ささげた」と読むこともできます。すると、ここでイエスさまが言われたことは、たくさん献金をささげなさい、とか、自分の持っているものの中から多くの割合分をささげなさい、ということではありません。イエスさまは、このやもめが生活のすべてを、命のすべてを神さまにささげた、ということ、つまり、このやもめの神さまに対する信頼、神さまに対する愛を人々に知らせたかった、人々と分かち合いたかったのではないでしょうか。

(むすび)
 やもめのささげものの箇所の前に、律法学者に気をつけなさい、という箇所を読みました。律法学者に気をつけるように。それは、律法学者は悪い人たちだから気をつけなさい、という話ではありません。律法学者が陥った誤りにあなたがたも気をつけなさい、ということです。律法学者は人々からもてはやされ、尊敬され、神さまに対する心、思いよりも、人の目を気にするようになりました。人々からの賞賛を得ることを求めるようになりました。しかし、一人の貧しいやもめはそうではありませんでした。神さまを愛する心、神さまを信頼する心から、この人はささげたのです。
 献金のことだけでなく、奉仕や伝道、私たちが行うこれらのこと一つ一つは、神さまを愛する心、神さまを信頼する心から行われるものです。それは人に誇ったりするものではありません。人と比べて、優越感や劣等感を持つことも必要ありません。なぜなら、人の目や評価のためではなく、神さまに対して行うものだからです。イエスさまは人々のささげものを見ておられました。いいえ、そのささげものよりも、そのささげる姿、その心を見ておられたのです。私たちはどうでしょうか?献金や奉仕や伝道、それらのことをどのような心で、どのような思いで、そして、誰に対して、行っているでしょうか?私たちもこのやもめのように、神さまを愛する心から、神さまを信頼する心から、すべてのことを行っていきたいと思います。

祈り
恵み深い主なる神さま
 主は一人の貧しいやもめを喜ばれました。この人が神さまに対する愛、信頼からささげたことを喜ばれました。
 私たちは人の目を気にします。人と比較して、優劣を感じたりもします。そういう私たち一人一人の人生の歩みを主は見ておられます。しかし、その目は裁きの目ではありません。憐れみのまなざしです。そのまなざしをもって、神さまを見上げて生きるようにと語りかけておられます。どうか、私たちがいつもその声に耳を傾けることができますように。
そして、私たちもあのやもめのように、神さまの愛をおぼえ、それに応えて生きるように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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