【週報巻頭言】2021年9月12日 福音を告げ知らせるために(一コリント1章10~17節)
「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」(一コリント1章17節)。
パウロは自分自身が何のためにキリストから遣わされたかを語ります。「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるため」。
バプテスマを授けることは意味がないと言っているわけではありません。自分が人々にバプテスマを授けて、自分の言葉や行いによって、こんなに多くの人たちをキリストに導いた。そういうことを誇るために私は遣わされたのではないのだ、と言っているのです。私の使命は福音を告げ知らせるため。そして、私は何を語ってきたかというと、キリストの十字架を語ってきたのだ、というのです。キリストがこの私のために、あなたのために十字架についてくださった。それはこの私が、あなたが、罪から救われ、永遠の命に生きるため。これがパウロの使命であり、私たち教会の使命です。
私たちも、パウロに続いていきたいと思います。私たちが教会として歩む。福音を伝える。様々な働きに励む。それらのすべてはイエス様が私たちのために十字架についてくださったからです。自分を誇るためでなく、私たちを罪から救い、永遠の命へと導いてくださった方、イエスさまを誇りとし、イエスさまを表すことを求めていきましょう。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテヤ2章20節)。
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