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【週報巻頭言】2021年9月26日 私の救い主(マルコ12章35~37節)

「主は、わたしの主にお告げになった。・・・このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」(マルコ12章36、37節)。ダビデ王が救い主を私の主と呼んでいるのに、どうして、救い主がダビデの子孫なのか、とイエスさまは言われました。

イエスさまがおいでになった当時、律法学者、またユダヤの人たちはイエスさまを救い主とは信じていませんでした。ダビデ王の子孫としておいでになったイエスさまは救い主なのですが、人々はイエスさまが救い主であるということを認めていませんでした。あのイエスという男は救い主でも何でもない。ダビデ王の子孫としておいでになる方は別に来られるはずだ、と言っていたのです。

イエスさまはダビデ王が救い主について、「私の救い主」(36節の「主は、わたしの主にお告げになった」)と言ったことを引用して、あなたがたは救い主について、間違った考えを持っていると言われたのです。救い主というのは、このユダヤの国のために、政治的にも、軍事的にも力を持ち、世界を支配する人のはずだ。イエスという男など、救い主ではない。そう考えていたのです。

ダビデ王は、救い主について、私の主と言いました。私の主、私の救い主とは、私が信じ、私が従う救い主ということです。あなたがたは自分たちで勝手に救いについて、救い主について理想を描いたり、考えたりしないで、聖書の言葉から、救いとは何であるか、救い主とは誰であるか、そのことを聞きなさい、と言われたのです。

私たちは聖書の言葉から、救いについて、救い主について教えられています。救いとは何でしょうか?私たちを罪から解放することです。救い主とは誰でしょうか?イエス・キリストです。この方が私たちを罪から救うために十字架にかかってくださいました。今、私たちは救い主イエスさまと一緒に新しい人生を歩む者とされたことを感謝したいと思います。

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