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【週報巻頭言】2022年3月27日 逃げてしまった人たち(マルコ14章43~52節)

マルコによる福音書14章50~52節には、イエスさまが捕らえられた後、逃げてしまった人々の様子が書かれています。

「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」

イエスさまと一緒にいた弟子たちは皆、逃げてしまいました。51、52節に書かれている若者、この人については、他の福音書にはこの記事がないために、もしかすると、このマルコによる福音書の記者であるマルコではないかと言われています。はっきりとしたことは分かりませんが、この若者も逃げてしまった、ということです。イエスさまの弟子たちの忘れられない恥ずかしい過去、そして、この若者、マルコ自身のことかもしれませんが、自分の忘れられない恥ずかしい過去であるのに、そのことをなぜ、正直にこの福音書に書いたのでしょうか。

イエスさまが言われた「聖書の言葉が実現するため」(同49節)というのは、神さまの救いのご計画が実現するため、ということです。ある牧師先生は、この神さまの救いのご計画について、このように語っています。「神は、人間の救いのためにイエスを罪人らの手に『引き渡す』ことによって、逆に十字架の救いへと私どもを渡されるのである」(白戸清牧師)。

イエスさまを裏切ったのは、この聖書の言葉に書かれているように、イスカリオテのユダだけでなく、弟子たちみんなであったことが分かります。その彼らが後になって知らされたことが、イエスさまの十字架の意味でした。そして、そのことが分かったからこそ、自分たちの忘れられない恥ずかしい過去、つまり、自分たちの罪を告白することができたのではないでしょうか。こんな私のためにイエスさまが十字架にかかって、罪から救ってくださった。イエスさま、感謝します!と罪を告白し、信仰を告白することができたのです。私たちもイエスさまの十字架はこの私のためであった。このことをいつも心におぼえて歩んでいきたいと思います。

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