【週報巻頭言】2022年6月26日 誘惑から守られるために(マタイ4章1~11節)
主イエスは悪魔から誘惑を受けるために、聖霊に導かれて荒れ野に行かれました(マタイ4章1節)。悪魔の誘惑とは、私たちを神さまから引き離そうとすることです。神さまの恵みを忘れさせ、感謝することをさせないことです。イエスさまは悪魔から三つの誘惑を受けましたが、それぞれみ言葉からお答えになりました。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある」(同4節)。神さまの言葉で生きる。私たちは神さまとの交わりに生きるのです。
「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」(同7節)。神さまを試してはならない。私たちは神さまの恵みに満足し、そこに留まるのです。
そして、「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある」(同10節)。神さまを拝み、仕えよ。私たちは神さまを礼拝し、神さまに仕え、神さまの栄光が表されることを求めるのです。
イエスさまが悪魔の誘惑を受けられたのは、私たちの試練、誘惑のすべてを身を持ってお受けになるためでした(ヘブライ4章15節)。私たちが試練や誘惑に遭う時、すべてをご存じの主が私たちを助け、守り、導いてくださることを信じて、祈りつつ歩んでいきましょう。
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