【週報巻頭言】2022年9月4日 律法の完成者、律法の実行者である方(マタイ5章17~20節)
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。(マタイ5章17節)
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。(マタイ5章20節)
マタイによる福音書5章17節の言葉から知ることは、イエスさまこそは律法の完成者ということです。そして、20節の言葉から知ることは、イエスさまこそは律法の実行者ということです。律法学者やファリサイ派の人たちは律法を守ることに励んでいました。とても真面目な人たちだったと言われています。しかし、その目的を間違えていたのです。これは先ほどお話ししましたが、彼らの目的は、自分たちの義、正しさを誇るため。そして、律法を守れないでいる人たちを裁くためでした。イエスさまがこの世においでになり、律法を完成させると言われたのは、神さまがお与えになった律法の本来の目的、正しい理解をお示しになるためでした。神さまに造られ、愛されている互いがよりよく生きていくため、互いに愛し合い、赦し合い、共に生きていくため。そのことをイエスさまはお示しになったのです。
イエスさまこそは律法の実行者です。この後のマタイ5章21節以下のイエスさまの言葉は大変厳しいものです。それは律法、つまり神さまの教えというのはそう簡単に従えるものではない、ということをお示しになっているからです。例えば、誰かに慈善活動をしても、それを行っている人の心の中はどうでしょうか?心からその人のために、と願って行っているでしょうか?律法に従うというのは、表面的に従うのではなく、心の奥底まで従うということなのです。そうなると、本当に従える人というのは誰もいないのではないでしょうか?しかし、イエスさまこそは律法の実行者です。イエスさまと共に歩んでいくことでイエスさまの助けをいただいて神さまの教えに従う者とされるのです。
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