【礼拝説教】2022年10月2日「神の真実に生きる」
聖書―マタイによる福音書5章33~37節
(はじめに)
お読みしました聖書箇所は、マタイによる福音書5章33~37節です。律法の完成者であるイエスさま(17節)が語られた「山上の説教」(5~7章)と言われる説教の中の一つをお読みしました。
イエスさまは律法の完成者と言いましたが、言い換えますと、イエスさまこそは、聖書を正しく理解され、実行された方ということです。ですから、私たちが聖書を読む時、そこで思い浮かべていただきたいのは、イエスさまなら、この聖書の言葉をどのように理解されただろうか?ということです。
この「山上の説教」で、イエスさまは繰り返し、「あなたがたも聞いているとおり」という言葉から始められ、ユダヤの人たちが守ってきた律法の言葉を引用され、語られています。そのようにして、イエスさまは、人々に、律法の正しい理解、私たちにとっては、聖書の正しい理解を示されたのです。
(聖書から)
それでは、33節をお読みします。
5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
ここでは、「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ」という律法についての正しい理解について語られようとしています。この言葉は旧約聖書の二つの言葉からの引用です。一つは、レビ記19章12節です。そして、もう一つは、民数記30章3節です。この二つの言葉も読んでみます。
19:12 わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
30:3 人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。
これらの言葉から分かることは、神さまの名によって誓いを立てること、神さまに対して誓いを立てること、それはとても重要なことであるということです。民数記30章3節の後半には、「すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」とあります。
私たちの信仰生活というのは、神さまとの関係に生きる生活です。人に評価してもらうため、ほめてもらうため、というようなものではありません。神さまに対して、神さまの恵みに対して、どのようにして応えていくか、というものです。今、引用しました「すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」という言葉、これは私の心に強く問いかけてきた言葉です。私にとっては、この「口にしたとおり」のことというのは、牧師として、神さまに自分をおささげします、と決心して、神さまに誓って歩んできたこと、献身の決意、誓いというものと考えます。しかし、今までの歩みを振り返りますと、度々、ぐらついてしまうようなことがありましたし、これからもあるかもしれません。ですから、「すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」。この言葉を聞いて、改めて、神さまに対して行った決心、誓いを生涯果たしていくことができますように、と主の守りを祈らされました。
「口にしたとおり、実行しなければならない」とありますように、信仰生活というのは、言葉だけで留まってはならないのです。その口にしたことを実行するのです。イエスさまを救い主と信じた方は自分がバプテスマを受けた時のことを思い出してください。イエスさまを救い主と信じるというのは、イエスさまに従うということです。今、自分はイエスさまに従っているだろうか。そのことを自問自答していくことは大切なことです。
今日の聖書の言葉に戻ります。「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ」。イエスさまは先ほどお読みしました旧約聖書の言葉を短く要点を語っておられるようです。「偽りの誓い」とは、何でしょうか?その後には、「主に対して誓ったこと」とあります。偽りの誓いというのは、主に対して、つまり、神さまに対して誓ったことではないことです。それでは、それはどういう誓いでしょうか。
34節以下、こういう言葉があります。「天にかけて」(34節)、「地にかけて」(35節)、「エルサレムにかけて」(35節)、「あなたの頭にかけて」(36節)。これらは神さまに対しての誓いではない誓いです。天にかけて誓ったこと、地にかけて誓ったこと、エルサレムにかけて誓ったこと、あなたの頭にかけて誓ったこと、それは果たせないことがあっても構わない。大事なことは神さまに対して誓ったことだけだ、というのです。
このようにして、当時のユダヤの人たちは、果たせなくてもよい誓いと果たさなければならない誓いというふうに誓いを二つに区別したそうです。私たちにとって、これはどういうことかと言いますと、自分の家族や友人と約束したことは、神さまに対して約束したことではないから、破ってもよい、と考えるということでしょう。あるいは、ある人との関係はとても重要に考えていて、その人に対して約束したことは決して破らない。けれども、別のある人に対しては、その約束を重要には考えず、簡単にその人との約束は破ってしまう・・・。そのようなことをして、私たちは誓いや約束というものを真面目に考えなかったり、人を分け隔てしてしまったりするようなことはないでしょうか?
イエスさまがここで語られたことは、そういう不誠実なあり方、生き方に対して、問いかけているのです。そこでイエスさまはこのように語られたのです。
5:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
ここで言われていることは、天や地、エルサレム、そして、あなたの頭、それらは神さまとは関係のないことではない、ということです。それらの一つ一つも神さまと関係のあることだ、と言われたのです。そして、37節の言葉が語られます。
5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
イエスさまは「一切誓いを立ててはならない」と言われました。それは、誓いを立てることをすべて否定された、ということではありません。あなたがたは偽りの誓いを立てたりして、不誠実な生き方をしてはいないか?それならば、そういう誓いを立てることはやめなさい、と言われたのです。それに続いて、「『然り、然り』『否、否』と言いなさい」とあります。これは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言いなさい、ということです。「はい」を「いいえ」と言ってみたり、「いいえ」を「はい」と言うのは、嘘を言っていること、不誠実、不真実なことを言っていることになります。そうではなくて、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言いなさい、と言われたのは、あなたがたはすべてにおいて、真実を語りなさい、真実に生きなさい、というのです。神さまに対して、真実を語り、真実に生きるというのは、誰に対しても、どこであっても、真実を語り、真実に生きるということなのです。
(むすび)
真実を語りなさい、真実に生きなさい。このように言われても、私たちは、自分が真実を語ること、真実に生きることの難しさを日々、おぼえる者です。私たち人間は、罪ある者、罪の性質を持つ者であるから、神さまから離れたこと、神さまと真逆のことをしてしまうのだ。それは、仕方がないことなのだ。そのように言われる方もあるでしょう。しかし、私たちはそこで留まってしまう、完結してしまう者ではないことを次の聖書の言葉は教えています(二テモテ2章11~13節)。
2:11 次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、/キリストと共に生きるようになる。
2:12 耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。
2:13 わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を/否むことができないからである。」
私たちがキリストを信じるというのはどういうことか。それは罪に支配されていた私たちはキリストと共に死んだのです。そして、キリストと共に生きるようになったのです。キリストと共に生きるというのは、罪に支配されていた私たちが今やキリストに支配された、ということです。テモテヘの手紙二2章13節には、このように書かれていました。「わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる」。確かに私たちは神さまの前に立つ時、自分は誠実ではない、真実ではない、ということに気づかされます。しかし、私たちの信じる方、キリストは常に真実な方です。この方が私たちを支配し、真実に生きるように導いてくださいました。そのことを信じて、主よ、真実を語る者にしてください、真実に生きる者にしてください、と祈りつつ歩むのです。そうするならば、神さまが私たちを造りかえてくださいます。
祈り
恵み深い主なる神さま
神さまの言葉さえも、自分の都合のよいように聞き、神さまに従っているつもりになっていることがある私たちです。しかし、主は人間の弱さ、罪深さをご存じです。
神さまの前に立つ時、私たちは自分がいかに不真実な者であるかを知りますが、神さまは真実な方であり、その方が私たちと共に歩んでくださいますからありがとうございます。
かつては罪に支配されていた私たちですが、イエスを主と信じた今は主に支配されていることを思い起こし、これを希望とし、主の真実に生きる者にしてください、と祈りつつ歩みます。どうぞ、導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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