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【週報巻頭言】2022年10月2日  私たちの目が、私たちの手が主に向かっていくように(マタイ5章27~32節)

もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」(マタイ5章29、30節)

ここに書かれている言葉をそのまま読んで、理解していきますと、右の目で姦淫するならば、その罪深い目をえぐり出して捨ててしまいなさい、ということになります。右の手で姦淫するならば、その罪深い手を切り取って捨ててしまいなさい、ということになります。そうすることによって、あなたは地獄に落ちることはないでしょう。これは大変恐ろしい話です。しかし、ここでイエスさまが言われたことはそういうことではありません。相手に対して罪を犯すならば、その目をえぐり出して捨ててしまいなさい。相手に対して罪を犯すならば、その手を切り取ってしまいなさい。それほどまでにして、相手のことを尊重するように、大切にするように、とイエスさまは言われたのです。

目と手ということが言われていました。目が罪を犯す。手が罪を犯すのです。目というのは、心の中で罪を犯すということ、手というのは、実際に罪を犯すということが言われているように思います。イエスさまは、目をえぐり出して捨ててしまいなさい。手を切り取って捨ててしまいなさい、と言われましたが、この言葉から、罪に対する厳しさや警戒ということも教えられます。しかしまた、私たちはいつも罪に対して注意して、用心して生きるとなると、大変なことだと思いますが、私たちは自分の力ではそれでも罪を克服することはできません。ではどうしたら罪を克服することができるでしょうか?

私たちを罪から救ってくださったのはイエスさまです。イエスさまの十字架の愛です。ですから、最も大事なことは、私たちの目がイエスさまの愛を見つめていくこと、私たちの手がイエスさまのみ手にすがっていくことです。それは具体的には、主の愛の言葉に耳を傾けていくことであり、主に祈り求めていくことです。主の守り、助けを信じて歩んでいきましょう。

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