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【週報巻頭言】2021年5月9日 神に勇気づけられて(一テサロニケ2章1~12節)

使徒パウロはテサロニケへ行った時のことを書いています。「わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした」(一テサロニケ2章1節)とパウロは言います。無駄ではなかった。これはパウロ自身にとっての慰めであり、テサロニケの教会の人々にとっても慰めです。無駄ということ、手元の国語辞典を見てみますと、「役に立たないこと。効果のないこと」(角川必携国語辞典)とあります。

パウロは、自分がテサロニケへ行ったことは無駄ではなかった、と言っていますが、常に福音宣教の働きが順調であったから、そう言えたのでしょうか?私はそうではないと思います。2節にはこのように書いてあります。「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語った」(同2節)。この言葉からは、宣教の働きの苦労が読み取れます。しかし、そういうパウロは神さまに勇気づけられた、というのです。働きの実を結ぶことができなかったこともあったでしょう。がっかりすること、落ち込むこともあったでしょう。けれども、神さまに勇気づけられた、というのです。では具体的にどういうふうに勇気づけられたのでしょうか?

「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます」(3~5節)。

4節の「わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています」。私たちは神さまに認められている。私たちは神さまから福音を委ねられている。自分自身を見つめていくと、自分は神さまの働きをする者としてふさわしい者とは思えない。けれども、そういう私を神さまは認めてくださっている。そういう私に神さまは福音を委ねてくださっている。これこそがパウロを勇気づけたことだったのではないでしょうか。

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