ARCHIVE

アーカイブ

  1. HOME
  2. ブログ
  3. メッセージ
  4. 【週報巻頭言】2023年8月6日 天の国に向かって生きる(一コリント15章35~49節)

【週報巻頭言】2023年8月6日 天の国に向かって生きる(一コリント15章35~49節)

最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。(一コリント15章47~49節)

パウロは、自然の命の体を持つ人のことを「地に属する者」と言い、霊の体を持つ人のことを「天に属する者」と言っています。私たちは、この世、この地上では、それにふさわしい体で生きているわけですが、死んだ後には、天の国にふさわしい体が用意されるというのです。

「土からできたその人の似姿」、そして、「天に属するその人の似姿」とありました。「土からできたその人」とは、神さまに最初に造られた人アダムのことです。そして、「天に属するその人」とはイエスさまのことです。ですから、ここで言われていることは、私たちが最初の人アダムに似た者であったのが、イエスさまに似た者となっていく、ということです。このことについて、パウロはコリントの信徒への手紙二3章18節でこのように語っています。

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(二コリント3章18節)

今、私たちは自然の命の体、肉の体を持って生きていますが、死んだ後に与えられる復活の体というのは、「天に属するその人の似姿」とありましたように、イエスさまに似た者ということです。私たちは、もうすでにそのための用意をしているのです。イエスさまに従っていく、イエスさまと一緒に歩む。それは、復活の体に向けての、天の国に向けての準備、備えなのです。そのことを知る時、私たちの信仰生活は決して無駄ではないことが分かります(一コリント15章58節)。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

記事一覧

アーカイブ

月を選択